2021年11月30日 (火)

学長室から~第8号~「本学の英語教育が目指すものは」

 さしものコロナ禍が小康状態の間に(南アフリカでo(オミクロン)株が出現し、新たな脅威となってきていますが)、これまでコロナ対策のために十分取り組めなかった諸課題について考えています。その一つが、大学における英語教育のゴールはどのように設定すべきか、本学の英語教育は何を目指すべきか、またそのための教員組織は如何にあるべきかという課題です。

 1)まず、私自身の体験から始めます。私は1981年秋にニューヨークに留学する機会がありましたが、隣の研究室の米国人大学院生から「おまえの頭はどうなってるんだ?」と、不思議がられていました。当時、自分の研究領域については、英語の論文をそれなりに読み、英語で論文を書くことも始めていました。しかし、日常会話はほとんど聞き取れず、何も言うことができませんでした。ラボでのプレゼンは何とかこなしても、月曜日の朝、コーヒーカップを片手に、週末にみた映画はどうだった、こうだったと話されても、ほとんど理解できないのです。当時は一人一人が携帯を持つなどという時代ではありませんでしたから、ラボにボス宛の電話がかかってくることがありました。うっかり出てしまうと、相手にすぐ切られてしまいます。ボスに正確に伝言できないとわかっているようでした。
 大学院生の彼には、このような状態が信じられなかったのでしょう。言葉の基本は「読む」と「書く」の前に「聞く」と「話す」ですから、英語で「聞く」と「話す」ができないのに、何故「読む」と「書く」はそれなりにこなすのか「とても不思議だ、あり得ない」というのです。聞き取れない時には、「聞き取れないので書いて欲しい」と頼めば、相手の言いたいことは何とか理解できました。英語で筆談をしていたようなものです。
 英語学習にはさまざまなゴールが想定できます。本学の学生・院生には、日常会話ができること、例えば、日本語字幕を見なくても映画の台詞が理解できることが、彼らがグローバル化を実現するためのゴールなのでしょうか。それとも、それぞれの専門分野で、論理的なやり取りができることがゴールなのでしょうか。個々の学生のニーズにあった様々なゴールを設定する必要があることは間違いないと思います。

 2)私の同級生であった中田力先生は3年前に亡くなってしまいましたが、functional MRI研究のパイオニアで、世界的にも最先端の業績を挙げていました。自分で研究して、自分なりにわかってしまうと論文まで書かないのが彼の唯一の欠点でしたので、彼から研究内容を説明してもらった時は納得したのですが、ここでも彼の原著論文がみつかりません。引用できないので、研究手法の詳細はわからないのですが、彼はバイリンガルの脳の働きを、脳機能画像を用いて研究していたのです。
 日本人が第二外国語として英語を修得した場合、英語を使っている時の脳の働き方はネイティブである日本語のままなのか、それとも英語がネイティブである人たちと同じ働き方になっているのか、どちらでしょうか。それとも全く新しい働き方になっているのでしょうか。彼は日本での病院研修に早々に見切りをつけて、カリフォルニアに行ってしまい、Davis校の神経学教授になったのですが、カリフォルニアには英語がネイティブで、後から日本語を修得したバイリンガルの人たちがいるので、日本人と丁度裏返しの解析を行うことができました。彼らが日本語を使っている時の脳の働き方はネイティブの英語型か、それとも日本人の働き方により近いか、どちらだったでしょうか。
 中田教授の結論は日米どちらも同じでした。後から修得した言語を使っている時の脳の働き方は、それぞれの母国語のパターンと同じだったというのです。日本人が流暢に英語を話している時でも、脳の働き方は母国語である日本語と同じだという研究結果からわかることは、言語ではネイティブな言語の基盤が重要だということです。日本人は日本人に生まれた宿命として、ネイティブである日本語をまずロジカルに使えねばならないのです。日本語のロジックがあやふやなままでは、英語を勉強しても英語でロジカルに考えられるようにはならないのです。日本語のロジックを鍛えるべき小学校中学年で英語を始めると、どういうことになるのでしょう。

 3)文部科学省の「英語教育の在り方に関する有識者会議」は平成26年に「今後の英語教育の改善・充実方策について~グローバル化に対応した英語教育改革の五つの提言~」を公表しています。小学校中学年から英語教育を開始するのですが、「英語を使って何ができるようになるか」という観点から一貫した教育目標(4技能に係る具体的な指標の形式の目標を含む)を示すことが求められ、改革4「教科書・教材の充実」には、「主たる教材である教科書を通じて、説明・発表・討論等の言語活動により、思考力・判断力・表現力等が一層育成されるよう、次期学習指導要領改訂においてそのような趣旨を徹底するとともに、教科用図書検定基準の見直しに取り組む。」という記述があります。
 英語による思考力、判断力が表現力と並列で取り上げられているのですが、上記の通り、母国語である日本語による思考力・判断力をまず修得しなければならないのです。日本語のロジックも英語のロジックも、同時に修得できると文科省は考えているのかもしれませんが、中田先生の研究は「それは難しい」と指摘しているのです。早くから英語を始めることは、日本語によるロジックの形成に影響しないのでしょうか。

 4)OECDが3年毎に公表している国際学修到達度調査(Programme for International Student Assessment:PISA)をご存じでしょうか。数学的リテラシー・科学的リテラシー・読解力という3つの指標について、義務教育終了の15歳を対象に、国際比較を行ったデータです。2018年には世界79地域から約60万人が参加したとされています。日本人は、数学的・科学的リテラシーでは世界トップレベルでしたが、読解力は2015年の8位から3年後の2018年には15位まで低下したことが話題になりました。
 ここでいう読解力とは、古典や現代文の意味を正しく読み取れるという意味での読解力ではありません。OECDは「テキストを理解し、利用し、評価し、熟考し、取り組む力」と定義しています。2018年の調査は、パソコンを利用した調査に変化しており、教科書から情報を探し出すことができるか、教科書の信憑性を評価できるか、さらに、ICTを活用できるかどうかが問われています。わが国はこうしたICT教育が立ち遅れていますから、ゲームは得意でもパソコンは使いこなせず、PISAの順位も低下しているのでしょう。さらに言えば、ICT教育の遅れだけではなく、教科書を批判的に読むことができない、加えて伝統的な国語教育における読解力も低下している15歳が増えているのではないかと心配になります。
 先ほど、第二外国語は母国語をベースとしているという中田先生の研究結果を紹介しました。繰り返しになりますが、ロジカルな英語を話すためには、まず日本語をロジカルに使えなければならないのです。英語で論文を書く時を思い出していただければ、日本人は日本語で考えながら、英作文を続けていることになります。英語でロジカルに考えているわけではありません。
 日本語は構造上、英語から最も遠い言語であるというデータもありますので、日本人が英語を修得するハードルは非常に高いのですが、幼児教育や小学校教育から英語を取り入れることが必要なのか、英語はどの段階で学修するのが最も効果的なのか、日本語の修得の度合を計りながら取り組むべきではないのか、バイリンガルの脳科学研究は多くの示唆を与えてくれます。

 5)では、本学における英語教育のゴールはどのように設定すべきでしょうか。私は、日本語がロジカルでなくて、第二外国語(英語)がロジカルになることはないと考えています。大学生の英語教育がどうあるべきかの前に、まず日本語をロジカルに読み、書くことが不十分なのであれば、大学でこれを改めてトレーニングする必要があります。
 日常会話は、場面に慣れればできるようになるでしょう。オンデマンドの教材はネット上にあふれていますから、こうした教材に常時触れて学修を続ければ(英語を学び続ける日本人の割合は1割以下という数字がありますが)、字幕を見ずに映画の台詞を聞き取ることもできるようになるかもしません。しかし、日本語がロジカルに扱えなくては、ロジカルな英語は使えないのです。
 昨年度の卒業式で、式辞としてお話したことを記憶しておられる方はないと思いますが、「祖国とは国語」というお茶の水女子大学の藤原正彦教授のエッセイを引用し、優れたQOLサポーターとして活躍するためには、日本語の語彙を増やすことが大切だというお話をしました。この想いは今も変わりません。

 以上のようなことを念頭に置いて、これから本学における英語教育のあるべき姿を考えながら、英語教育に携わる先生方と新たな英語教育の組織を作っていかねばなりません。ぜひ、皆さんからご意見をいただきたいと思います。

2021年10月 5日 (火)

学長室から~第7号~

 今回も前回に引き続き、新型コロナウイルスとそのワクチンに関して、皆さんの関心が高いと思われる話題をいくつか取り上げます。学内における今後の新型コロナウイルス対策を円滑に進めていくために、教職員の皆さんと情報の共有を図ることを目的としています。

 

1)集団免疫

 新型コロナウイルスにどれくらいの割合の人が感染し、あるいはワクチンを接種して免疫を獲得すれば、集団としての免疫が得られるのでしょうか。集団免疫が成立するための条件について、以下京都大学の西浦博教授の解説を紹介します。基本再生産数、実効再生産数がキーワードになります。

 1人の感染者が感染の経験がなく、免疫もない集団で生み出す二次感染者数の平均値を基本再生産数Rと呼びます。この集団のワクチン接種率をpとすると、接種を受けていない(1-p)には接触すれば感染する可能性が残りますから、ワクチン接種を行った環境で1人の感染者が生み出す二次感染者数の平均値は(1-p)x R となります。感染防止対策下での再生産数なので、これを実効再生産数と呼んでいます。この値が1を下回れば、集団内の感染者数は減っていき、感染がいずれ消退することを意味します。(1-p)x R<1 をpについて解くと p>1-1/Rが得られ、感染が治まるために必要なワクチン接種の達成率が求められるわけです。

 実際には、感染者は集団外にも移動し、感染後には回復する場合も死亡する場合もあります。またウイルス感染が拡大していく場合も、感染のしやすさは一様ではなく、年齢、職業、周囲の環境などによっても感染リスクは異なります。ここでは最も単純なモデルとして、仮定を簡略化していますが、ポイントは、感染を抑制するために必要なワクチン接種率は、基本再生産数によって変動するということです。

 新型コロナウイルスの基本再生産数は、感染防御対策がなされていない状況では当初世界的に2.5と見積もられていました。R=2.5とすれば、pが0.6以上であれば、つまり凡そ60%がワクチン接種か、自然感染によって免疫を獲得すれば、集団内の感染は消退していくことになります。R=2.5の状況がそのまま続いていれば、ワクチン接種が新型コロナウイルス感染症のゲームチェンジャーとなり、60%までワクチン接種が進めば、感染は抑制されるはずでした。しかし、感染力が増強した新たな変異株が登場したことによって、この目論見は成り立たないことになってしまいました。ワクチン接種を60%で済ませたからといって、すぐに集団免疫が成立するとは言えなくなったのです。

 現在、流行の大半を占めるインド株(δ株)の感染経路の主体は、接触感染や飛沫感染ではなく、エアロゾル感染と考えられるようになりました。このためδ株の感染力は、水疱瘡レベルのR=8前後と推定されています。仮にR=5 ではp>0.80 となり、R=8 ではp>0.875 となります。基本再生産数の推定方法にも色々あり、δ株のRは8では高過ぎるとしているものもあります。仮にR=8レベルとすれば、本学のワクチン接種率は学生・教職員全体で現在83%ですから、十分高い値ではありますが、それでもまだ87.5%には達していません。繰り返しますが、感染力が増強したδ株が主体となったことによって、従来株に対するワクチン接種は、全てを解決できるものではなくなってしまったのです。

 δ株による感染の第5波が何故急速に縮小しているのかは、専門家の間でも説明困難なのですが、この機会に政府は行動制限の解除に進もうとしています。9月末で緊急事態宣言とまん延防止等重点措置は、全ての自治体で解除されました。10月からは、ワクチン接種者には、従来の14日間の行動制限と観察期間が10日間に短縮されます。10月にはワクチンパスポートの「実証実験」を複数の自治体で実施し、11月からは実際にパスポート等を発行して、移動制限を緩和するというメッセージがすでに出ています。これを受けて「ワクチンを2回接種したので、自分はもう大丈夫だ」と10月最初の週末から旅行に出かける人たちのニュース映像が流れていますが、残念ながら大丈夫ではありません。感染防御対策は引き続きしっかり守っていく必要があるのです。その理由の一つはブレークスルー感染の存在です。

 2)ブレークスルー感染

 予定通り2回のワクチン接種を済ませた人たちでも、感染してしまう現象をブレークスルー感染と呼んでいます。2回目のワクチン接種後14日程度を経過すれば、B細胞から十分量の中和抗体が産生され、メモリー細胞もT細胞免疫も賦活化されます。この中和抗体価は半年も経つと次第に低下してきます。季節性インフルエンザでも毎年ワクチン接種が必要なのと同じく、2回のワクチン接種で新型コロナウイルスに対して終生免疫が得られるわけではありません。そこで、ワクチンを接種して14日以内に、あるいは半年程度を経過してから、ウイルスに再度曝露されれば、感染が成り立つ可能性があります。またδ株のように、ウイルスの変異によっては、感染が起き易くなる可能性もあります。ワクチン接種ではなくウイルスに実際に感染した人たちの一部にも、再感染が起きています。

 現行のワクチンは、δ株に対する発症抑制、および重症化抑制にはいまだ十分有効とされていますが、感染抑制効果は減弱しています。また、ブレークスルー感染の場合に排出されるウイルス量は、初感染の場合と変わらないと報告されています。ワクチン接種を受けていれば、自身は重症化しないで済む可能性が高いですが、未接種者に感染させるリスクは変わらないのです。また、ブレークスルー感染は軽症であるという報告もされており、本人が軽症で済むのはよいのですが、他者に感染させ得ることが問題なのです。実際、最近の米国における死者の大半は、ワクチン未接種の人たちで占められています。

 したがって、ワクチン接種者も未接種者もともに、自らが感染しないように、さらに他者に感染させないように、人との接触を控え、エアロゾル感染を防止するための対策をこれからも維持する必要があるのです。今回のδ株による感染が急速に消退しつつあるとはいえ、新たな変異株の出現も予想しておかなければなりません。コロナウイルス感染が増加する冬季には、感染の第6波が生じる可能性は十分あると考えます。

 これまで自粛要請が続きましたので、皆「自粛疲れ」を感じています。こうした状況で、「2回ワクチンを接種した人にはパスポートを発行するので、移動の制限はいらなくなります」というメッセージを出すのは、リバウンドのリスクが大きいと言わざるを得ません。

 3)ブースター(追加)接種

 2回のワクチン接種を受けても、中和抗体の量は時間とともに減弱してきますので、いずれ追加接種が必要になります。中和抗体価を経時的に測定して行けば、抗体価がどの程度低下してくると、感染リスクが上がってくるのかがわかるはずですが、まだ抗体価と追加接種について明確なデータは出ていません。中和抗体価が低下してきても、T細胞免疫が十分機能していれば大丈夫という解説もありますが、これはやはり、実際にT細胞免疫の状態を測定したデータが出てこなければ、評価できません。

 WHOは、現行のワクチンには十分な感染予防効果、発症予防効果が残っているので、追加接種は必要なく、まだ2回の接種が終了していない人たちへの接種を優先すべきであるという見解を公表しています。先日、世界の専門家が連名でLancet誌に論文を発表しましたが、主旨はWHOと同じです。一方、米国などは追加接種をすでに開始しています。

 わが国では接種後8か月を経過した医療従事者から、追加接種が実施されることになりました。これまでの不手際を点検し、ワクチンは必要な量が確保され、必要なところに確実に分配できるのでしょうか。今夏には2回目の接種が4週間では受けられない「モデルナ難民」と呼ばれる人たちが生まれてしまいましたが、次は大丈夫でしょうか。ファイザー製、モデルナ製は交差接種の方が有効なのでしょうか。ワクチン接種証明書はアナログで発行するのでしょうか。幸い感染が急速に消退している今こそ、医療体制の整備やワクチン・治療薬の確保、保健所のフォローアップ体制の見直しなど、これまでに明らかになった課題を解決しておかなければならないのですが、心配です。

 4)今後の見通し

 欧米の多くの国や地域では、9月の新学期から公務員などにワクチン接種を義務付けました。対面式授業に出席を希望する大学生には、ワクチン接種を義務付けている大学があります。ワクチン未接種者はワクチン接種を受けるか、あるいは検査を受けて陰性証明書を定期的に提出するよう求められています。ワクチンパスポートがすでに実用化されているドイツではこれまで、感染したことを証明すること、ワクチンを接種すること、検査を受けて陰性証明書を提示することは同等でしたが、従来は無料であったPCR検査が今後は有料になると報道されています。ワクチン未接種者は次第に居場所がなくなりつつあるのです。

 わが国では予防接種法を改正して、新型コロナウイルスワクチンの接種を義務付けることはないと思います。接種を受けるか否かは個人の判断ですが、今後も推奨を続け、ワクチン接種にリスクがある人たち以外は出来る限り接種を受けていただきたいと思います。しかし、同時に、学内で接種者と非接種者の分断が生じないように、ワクチン接種を受けていない人たちが不当な圧力、差別、誹謗中傷などに晒されないように、未接種者の権利を守ることも改めてお約束しておかねばなりません。

 現状で移動制限が解禁されるのであれば、感染防御対策は十分守られていなければなりません。わが国では依然として接触感染、飛沫感染を念頭に置き、3密を回避し、社会的距離を保つことが重視されていますが、エアロゾル感染が主体とされてからは、状況が変わっていることを理解して行動しなければなりません。最も重要なのは常時マスクを着けていることと、換気を徹底することです。会食やカラオケの回避も続ける必要があります。飲食店のアクリル板は空気の流れを停滞させてしまい、エアロゾル感染を防ぐためには、却って適切でないという指摘があります。先週末の報道に感じられる「解放感」は、多くの国民が待ちに待ったものであったことは十分理解できますが、必要な感染防御措置が取られないままでは、感染のリバウンドを招く結果になってしまいます。

 英国では、ワクチン接種がある程度行き渡った時点で、7月19日から移動の制限を全て撤廃しました。その結果、δ株による感染が増加し、死者も再び増加しています。世界的にはδ株の感染拡大を受けて、一旦解除した行動制限を再開した国もありますが、英国は方針を変えていません。10月2日時点で公表されている直近7日間の英国における死者数の平均値は115人で、わが国の同時期の死者数36人のほぼ3倍です。経済活動を再開させるために、英国では「この程度の」犠牲は覚悟しているという見方もあります。わが国はもともと感染者数も死者数も欧米よりも少ないので、わが国でも「この程度ならば」インフルエンザと同程度なので、経済活動の再開に舵を切るべきであるという主張が勢いを増しているのだと思います。インフルエンザはこれまで1シーズンで約1,000万人が罹患し、約1万人(0.1%)が死亡しています。このうち直接死は3,000~4,000人程度と見積もられてきました。新型コロナウイルス感染症の致死率は、昨年の2%足らずから1%程度に低下してきていますが、インフルエンザよりは依然高い数値です。特に高齢者における致死率の高さ、後遺症の多さなどから、いまだインフルエンザ並みとは言えないと判断しています。

 とはいえ、最近になって新型コロナウイルス感染症もインフルエンザ並みになる可能性が出てきていますので、ご紹介します。

 まず、経口薬の実用化に向けた動きが活発になり、冬季までに上梓される可能性が出てきました。メルク社の「モルヌピラビル」は入院・死亡のリスクを5割減じたと報告されています。近く米国で認可申請が出され、早ければ年内にも実用化される見込みになっています。新型コロナウイルスに対しても、初期の軽症例には抗体カクテル療法が有効とされ、わが国でも外来診療で使用できるようになりました。インフルエンザに対するタミフル(経口)、リレンザ(吸入)、イナビル(吸入)、ラピアクタ(注射)のように、有力な治療薬のラインナップが揃ってくれば、ワクチンの効果と相俟って、新型コロナウイルスもコントロール可能なレベルになることが期待できます。

 次に、新型コロナウイルスは頻繁に変異を生じるRNAウイルスですが、それ故にウイルスにとって重要な遺伝子に変異が蓄積してくると、ウイルスが自壊を始めるという「カタストロフィー理論」が提唱されています。今回のδ株の急速な減少においても、この可能性が指摘されていますし、このように考えれば、δ株以上に感染しやすい、あるいは重症化しやすい変異株は今後生じないのではないかという希望的観測も出ています。

 有望な治療薬の開発とワクチンの接種によって、さしもの新型コロナウイルスもインフルエンザ並みの感染症となる日も近いのかもしれません。しかし、繰り返しますが、今はまだ、もう少しの辛抱の時期です。皆さんにとって一番の関心事は、現在の行動規制をいつ、どの程度に緩和できるかであると思いますが、学内の17%がまだワクチン未接種であり、無症状やごく軽症の感染者と接触すれば、感染する可能性があります。重症化するリスクも、ワクチン接種者より高いのです。17%の未接種者の中で、不安を感じたり、副反応を恐れたりして接種を見送っている方には、現状を丁寧に説明し、接種を受けていただけるように説明を続けます。開志専門職大学での職域接種は終了しましたが、10月には新潟脳外科病院で接種を受けることができます(電話で直接申し込んでいただくことになりますので、事前に情報を確認してください)。

 冒頭の集団免疫の話題で、接種率が凡そ9割(計算値では87.5%以上)に達すれば、学内で感染が拡がらない状況が期待できますので、学内全体での接種率を9割とすることをまず目標に据えています。それまでは現在の規制を全て撤廃するのは時期尚早という判断です。現行の大学方針は10月28日までを想定していますので、国や県の状況をみながら28日までに開催される次回の危機管理対策委員会において、規制緩和の具体策についてご議論いただく予定としています。教職員の皆さんのご理解とご協力をいただきたいと思います。

2021年7月30日 (金)

学長室から~第6号~「新型コロナウイルスワクチン接種について」

「学長室から」2021年7月号をお届けします。

 教職員の皆様のご協力、ご支援により、7月5日から本学において新型コロナウイルスに対するモデルナ製ワクチンの職域接種が開始されました。7月26日に修了した1回目の接種では、何人かに軽度の副反応がみられましたが、概ね無事に終了することができました。新潟医療福祉大学がこの一大事業の達成に向けてワンチームとして行動するために、ご尽力くださった教職員の皆様に心から御礼を申し上げます。本学では救急救命士の皆様が接種後の健康観察にあたってくださったことが、他会場にはない、特筆すべきことでありました。接種を受けた皆さんに大きな安心を与えていただき、感謝しています。来週8月2日からは2回目の接種が始まりますので、引き続き宜しくご協力をお願いいたします。

 これまでにも「学長室から」の2021年1月号や5月号、危機管理対策委員会が開催された度に学生・保護者に向けて発出した学長メッセージ、6月14日に発出した職域接種に向けたメッセージなど、多くの機会に新型コロナウイルス感染症やそのワクチンに関する情報を共有させていただいています。基本的な書籍やインターネットサイトも紹介していますが、この間に質問もありましたので、これらにお答えしながら、学内の意思統一を図りたいと思います。

1)本学は医療福祉系の大学なので、全員がワクチン接種を受けるべきなのか?

  この質問に答えるために、わが国のワクチン政策について、繰り返しになりますが、改めて説明します。

 わが国の新型コロナウイルスワクチン接種率は、最近まで「先進国」で最低レベルに甘んじていました。取組みが遅れた理由として、さまざまな要因が指摘されましたが、予防接種に対して厚労省が慎重姿勢を取り続けていることが一因として挙げられます。わが国では、流行性耳下腺炎ワクチン、インフルエンザワクチンなどの副反応、後遺症に対する司法の厳しい判決を受けて、厚生省(当時)は1994年に予防接種法を改正し、予防接種を義務接種から推奨接種に切り替えたのです。定期接種から任意接種になったために、各種ワクチンの接種率は低下しました。特に2013年、厚労省が子宮頸がんを予防するヒトパピローマウイルス(HPV)ワクチンの接種を積極的に推奨することを中止して以降、わが国におけるHPVワクチン接種率は70%以上から1%以下に低下したままであるのはご存じと思います。

  海外の状況をみると、フランスでは本年7月、医療従事者に対してワクチン接種を義務化し、9月からは接種しなければ解雇もあり得るとしたために、大規模な反対デモが起きています。米国では陸軍は義務化を検討し、またカリフォルニア州など、州によっては医療従事者に接種を義務付けるよう検討されています。ニューヨーク市では、9月の新学期から警察官や教員など市の職員に対して、ワクチン接種を受けるか、毎週PCR検査を受けるかを義務付けました。また全米で600以上の大学が、秋からの対面授業に出席するための条件として、ワクチン接種を義務付けていると報道されています。

 2020年9月10日付けのLancet誌にロンドン大学から興味深い研究結果が報告されています。2015年から5年間に発表された149か国、290論文を調査し、18歳以上の約28万人を対象に、ワクチンへの信頼性(安全性・重要性・有効性)を国際比較したものです。その結果、ワクチンの安全性への信頼が最も高かったのは89.4%のアルゼンチン、86.1%のリベリア、86.1%のバングラデシュで、最も低かったのは8.1%のモンゴル、8.9%のフランスと日本でした。同様にワクチンの有効性への信頼が最も高かったのは86.6%のエチオピア、86.3%のアルゼンチン、81.9%のモーリタニアで、最も低かったのは10.3%のモロッコ、13.0%のモンゴル、14.7%の日本でした。ワクチンが有効であり安全であるので、自分の子供にワクチン接種を受けさせるという人の割合は、日本は世界で最低レベルでした。その理由として、調査直前の2013年に、上述したHPVワクチン接種が「副反応」により積極的推奨から外されたことが挙げられています。この厚労省の決定は国際科学コミュニティーからは評価されず、日本のワクチンプログラムは改善を要するとされています。

 わが国のマスコミの対応は、ワクチンに対するこうした国民の意識を反映したものになりますから、ワクチンの重要性や有効性を説明する前に、副反応を強調しがちになります。今回も、ワクチン接種の開始当初は、急性の副反応が発生しているという報道が目立ちましたので、一人でも直接の死亡例が出れば、わが国ではワクチン接種がストップしてしまったかもしれません。

  ワクチンは、病原体への感染を予防するため、さらに感染したとしても、発症を予防したり、重症化を予防したりするために接種するのですから、接種したからといって、すぐに「ご利益」が実感できるものではありません。ワクチンが有効であれば、よくないことは起こらず、普段と変わりはないのです。しかし、一旦副反応が出現すれば、直ちに「損をした」と認識されます。接種を受ければ、感染予防はできて当然で、副反応はあってはならないものと受け止められてしまうのです。

 ワクチンには、今回のワクチン接種の対象外である小児や、感染すれば重症化しやすい高齢者を感染から守る、「社会を守る」という役割と、接種を受けた本人を発症から、あるいは重症化から守る、「個人を守る」という役割があることは言うまでもありません。さらに、これまでわが国ではあまり議論されていませんが、新型コロナウイルス感染症にはさまざまな後遺症が報告されています。味覚・嗅覚の低下・消失は半年後にも残り、なかなか回復しないために「何を食べても、食べた気がせず、つらい」という当事者の声が先日も報道されていました。ワクチンを接種すれば、こうした後遺症を減らすことに繋がります。

  ワクチンの副反応が不安、心配なので、接種は見合わせたいという人たちが若い世代には多いので、こうした人たちには特にていねいな説明が求められます。筋肉注射局所の痛み、発熱、倦怠感、頭痛などは高い頻度で生じる副反応ですが、1、2日で収まりますので、心配はありません。しかし、こうした副反応がどのくらいの頻度で起こるのか、起きた時はどのように対応したらよいのか、どのくらいの経過で改善するのか、などの情報が当事者に十分届いているとは言い難いように感じます。

 副反応の中で問題となるのは、個人個人の体質によるアレルギー反応です。今回のワクチンの何らかの成分に対するアレルギー反応を、事前に100%予知することはできませんので、何らかのアレルギー反応を起こした既往がある人たちは接種を控えた方が安全です。アナフィラキシーも救急対応ができれば心配はないという考えもありますが、職域接種の会場は救急病院ではなく、万全の救急対応はできませんので、敢えてリスクを冒す必要はありません。

  それでは質問1)に対する回答です。

 わが国では、上述の通り1994年以降、ワクチン接種は任意なので、接種を受ける、受けないは個人の判断に委ねられ、国が義務として強制するものではありません。今回の新型コロナウイルスワクチンも同様で、HPVワクチンの現状をみれば、厚労省は医療関係者、あるいは大学関係者に対象を限定したとしても、接種の義務化には踏み切れないと思います。ニューヨーク市のように市職員に対して、ワクチンを接種するか、毎週PCR検査を受けるかを選択してもらう方法も考えられますが、厚労省はPCR検査の拡大に依然として極めて消極的ですから、毎週検査を受けることはできないでしょう。アレルギー反応の既往がある人は、命に係わるアナフィラキシーが発生するリスクがありますから、接種を避ける必要があります。

 副反応が心配なので、接種は受けないという個人の判断も尊重されます。しかし、組織に所属すると、接種を受けないという人たちが圧力や差別を受けるおそれがあることはすでに指摘されています。昨年の「自粛警察」と同じような動きが起きているというのです。逆に、接種を受けてはならないという指示が出ていた大手企業の事例も報道されました。

 本学は医療福祉系の大学ではありますが、学生諸君が全員、学外の医療機関での実習に参加するわけではありません。学外実習では、受入れ先の医療機関からワクチン接種を済ませていることを受入れの条件と指定される場合が少数ながらありますので、各学科でやりくりをしていただいています。

  本学における職域接種では、これから数値を改めて確認しますが、教職員の大凡73%が2回のワクチン接種を終了する予定です。全国の大学では、反ワクチン活動のために、全体の接種率が50%を下回るという大学もありますので、この数値は低くはないと思いますが、皆さんはどのように受け止められるでしょう。医療福祉系の大学なのですから、もう少し高くあって然るべきでしょうか。集団免疫の成立には、さまざまな仮定の上での議論ですが、中和抗体保有者が集団の大凡6割以上になる必要があるとされていますので、7割以上であれば当面は十分でしょうか。

 本学では、不安なので接種は受けたくないという皆さんには、これからもワクチンの安全性・有効性について丁寧な説明を繰り返し、ワクチン接種への理解を深めていただくこととしています。ワクチン接種は任意であるという大前提の基に、学外の医療機関に実習に出る学生諸君には、アレルギー反応の既往がないのであれば、ワクチンの重要性、効果、副反応について理解した上で、ワクチン接種を受けてほしいと要望してきた従来の方針に変わりはありません。

 2)ワクチン接種を受けたら、これまでの行動規制は解除できるのか?

  ワクチン接種の会場で、「ワクチン接種を受けたので、これで安心」とインタビューに答えている人たちをよくみかけます。今回のファイザー製、モデルナ製ワクチンの接種を受けると、どれくらい安心できるのでしょう。これまでの行動自粛は必要なくなるのでしょうか。

 まず、現状は「これで安心」とは言えなくなっているというお話から始めます。今回接種されたファイザー製、モデルナ製のワクチンは、世界で最初に流行したウイルス株のスパイク蛋白に対するmRNAを用いて作られています。その後に流行した英国型(α株)、さらにその後に出現して現在の流行の主体となっているインド型(δ株)を基にしたものではありません。ウイルスが変異を繰り返すたびに、現在のワクチンの感染抑止力、発症抑止力、重症化抑止力は変化する可能性があります。これまでの情報では、ファイザー製、モデルナ製のワクチンは当初95%、94%の感染予防効果を示しましたが、その後に登場してきた英国型やインド型に対しては、感染予防効果は低下しています。イスラエルからの最近の情報では、ファイザー製ワクチンのδ株に対する感染予防効果は39%に低下していました。

 国民のかなりの割合がワクチン接種を終了しているイスラエルでも英国でも、新たなインド型の感染が拡大しています。米国でも、ワクチン接種を受けていなかった集団に、インド型が拡大していると報道されています。しかし、幸いなことに、現行のワクチンの重症化抑止力には変わりはなく、新規感染者数は増えても、重症者数は大きく増加はしていませんし、致死率の上昇もみられていません。このため、英国は7月19日から全ての規制を撤廃するという思い切った行動に出ています。

 今回、職域接種でモデルナ製の、あるいは学外でファイザー製のワクチン接種を2回済ませた皆さんでも、現在国内で主流となってきたインド型に対しては、高い感染予防効果を期待することはできません。米国において、2回のワクチン接種を受けながら感染してしまうブレークスルー感染の頻度は、医療従事者では0.01%と報告され、非常に低い頻度でした。しかし、この結果は、世界的な流行の主体がインド型に変化する前に得られたもので、現在は状況が変わっています。ワクチンを接種していても、新たなインド型には感染してしまう可能性があるのは、イスラエルや英国の現状が示している通りです。しかし、今のところインド型に対してはまだ、重症化するリスク、死亡するリスクは低く抑えることができているということなのです。

 一方、本学の教職員の約4人に1人はワクチン接種を受けていません。なんとなく心配という皆さんには、上述の通り、ワクチンの効果と副反応、学外実習受け入れ医療機関の状況などをよく説明した上で、接種を受けて欲しいとお願いしているところです。ワクチンを2回接種していても、インド型に感染して、しかもほぼ無症状である人たちが本学に入構して、ワクチン接種を受けていない人たちと接触すれば、この人たちが感染する恐れがあります。本学には、ワクチンが不安で、心配で接種を受けなかったという人たちばかりではなく、アレルギー反応の既往などのために接種を見合わせた人たちもいます。大学内では、誰がどのような理由で接種を受けていないのかという個人情報を開示することはできません。

  新型コロナウイルスに対するmRNAワクチンは人類が初めて実用化したワクチンであるために、これから課題となる論点が残されています。それは接種を受けた人たちにどれくらいの割合で十分なウイルス中和抗体が作られ、それがどれくらいの期間保たれるのかということです。例えばB型肝炎ウイルスワクチンは、免疫反応の仕組みの個人差によって、何度抗原を接種しても抗体ができてこない人が日本人の約1割いることがわかっています(ワクチン開発当時の情報ですので、今は改善されているかもしれませんが)。

 ファイザー製の感染予防効果は95%、モデルナ製は94%という非常に高い数値が当初は出ていましたので、今回開発されたmRNAワクチンでは、抗体ができないという比率は非常に低いのかもしれません。今後は中和抗体の定量を進めて、ワクチン接種後には確実に抗体が産生されていることを確かめ、この抗体がどれくらいの期間保たれるのかを明らかにした上で、3回目の接種の準備を始める必要があります。中和抗体の量はいずれ減少しますので、「今回、2回のワクチン接種を終えたので、今後は心配ない」というわけにはいきません。

 新型コロナウイルスでは、月2回程度の頻度で変異が生じるとされていますので、今後も新たな変異株が間違いなく登場してきますし、現在のワクチンでは十分な効果が期待できない、厄介な変異株が生まれる可能性は高いのです。すでにペルーではλ株と呼ばれる新たな変異株が登場し、WHOは6月14日にこれをVOI(variant of interest)に加えて警戒を強めています。現在、特に警戒すべき変異株であるVOC(variant of concern)には、インド型(δ株)までの4種が指定されています。このような状況ですから、mRNAワクチンの利点を生かして、これからもより感染性が高く、重症化しやすい変異株に対するワクチンを開発し、接種を進めていかねばならないのです。

  それでは質問2)に対する現時点での回答です。

 2回の接種を終了していても、新たな変異株が出現すれば、現行のワクチンの感染予防効果は減弱する可能性があります。しかし、幸いにして現在はまだそれなりの感染予防効果があり、加えて重症化抑止効果は非常に高いとされていますので、中和抗体が一定の値を保っている間は、安全を確保できたと考えることができます。

 しかし、ワクチンを接種していても、δ株にも、その後の新たな変異株にも、感染する可能性はあります。しかも、本人はほぼ無症候とすると、感染を意識せずに大学に入構して、ワクチン未接種の皆さんにも、リスクは低いと思いますがワクチン接種を済ませた学内の皆さんにも、感染を広げてしまう可能性が残ることになります。ワクチン接種を2回済ませていても、学内の皆さんにはこれからも、本学が定める基本的な感染防御対策はしっかりと守っていただかねばなりません。

 以上を勘案して、本学では、英国のように行動規制を全て撤廃することはできないと現時点では判断しています。「14日ルール」とPCR検査受検による期間短縮措置も当面維持することとします。直近では、δ株の感染急拡大が起きていますが、本学ではまだ2回目の接種が終わっていません。オリンピックが開催中であり、夏季休暇も近づいていますので、感染拡大の防止に特に注力しなければならない状況にあります。現在のワクチンはδ型の重症化抑止効果がまだ非常に高いということが「安心」の唯一の拠り所ですが、これも「今のところは安心」であって、次の新たな変異株にも当てはまるとは限りません。

 新型コロナウイルスでも、流行する変異株によってはワクチンの追加接種が必要になります。実際、ファイザー社はα株のmRNAを用いたワクチンによる3回目の接種を計画しています。インド型に対する新たなワクチンも、臨床治験の準備が進んでいると報道されています。また上述の通り、ペルーではλ株という新たな変異株が出現し、WHOは警戒を強めています。新型コロナウイルスでも結局は、変異株の出現と有効なワクチン開発の「イタチごっこ」が続くことになります。新たな変異株の出現は当然予想されることとして、対策を常に用意していかなければなりません。

  7月21日に開催された厚生労働省「新型コロナウイルス感染症対策アドバイザリーボード(座長:脇田隆字国立感染症研究所所長)」に京都大学の西浦博教授らが、ワクチン接種が進んだ場合、現在の「濃厚接触者の14日間の自宅待機」を短縮できるかについて報告しています。それによると、2次感染のリスクが5%未満になるまでの期間は、ワクチン未接種では9日、ワクチン接種では、従来株は3日、δ株は6日に短縮し、また、リスクが1%未満になるまでの期間も、ワクチン接種により短縮すると推定されました。現行の「14日ルール」がワクチン接種により緩和される可能性が示唆されるデータですので、今後の検証を待ちたいと思います。

 3)ワクチンの副反応で不妊になるか?

  パンデミックに倣って、WHOはインフォデミックという言葉を作って、デマ情報に惑わされないよう注意を促しています。しかし、ネット上では「専門家」も、そうでない人たちもさまざまな意見を発信しています。「専門家」の意見も一致しているわけではなく、PCR検査を拡大すべきかの議論の時のように、意図的な誘導もあります(本年1月号の学長室からで、アジア・パシフィック・イニシアティブ編「新型コロナ対応民間臨時調査会調査・検証報告書」、ディスカヴァー・トゥエンティワン、東京、2020/10/25を紹介しています)ので、一般の皆さんには何が正しく、何がフェイクなのか、判断できなくなっていると思います。そこで「こびナビ」という、新型コロナウイルス感染症やワクチンに関する正確な情報を提供することを目的として、2021年2月に開設されたサイト(www.covnavi.jp)を紹介してきました。Q&A方式で医学的な情報が引用文献をつけて的確に提供されていると思いますので、改めてご紹介します。

 今回使用されているmRNAワクチンは人類史上初めて実用化されたものですが、すでに1億人を超える人たちが接種を受けていますので、短期的な副反応として大きな問題は生じていないと言えると思います。しかし、中期的・長期的な副反応については、人類の誰も経験がありませんので、正確にはわからないとしか言えません。ワクチン接種を受けることによるメリットと、予想されるデメリットを勘案して、対応を決める他はないのです。しかし、ワクチンの副反応の大半は接種後6週間以内に起こるとされていますので、これまでの世界的な接種状況からは、予期せぬ副反応が中長期的な観察によって初めて確認されるという可能性は低いと考えてよいと思います。

 デングー熱という、わが国でも南西諸島を中心にみられるウイルス感染症では、開発されたワクチンの接種によって、ウイルスの病原性を高めてしまう抗体が産生されることが明らかになりました。このためフィリピンでは、ワクチン接種後に実際に感染した人たちが重症化する「抗体依存性感染増強」という現象が起きてしまいました。この事例は、ワクチン開発の失敗例として記録されていますが、新型コロナウイルスでも同様の作用を持つ抗体が産生されるという報告がありますので、ワクチン接種後も、経過を慎重に追跡する必要があるのです。

 世界的には、アデノウイルスベクターを利用するタイプのアストラゼネカ製ワクチンの接種を受けた若い世代に、血栓塞栓症、心筋症、Guillain-Barre症候群などの合併が報告されています。いずれも頻度は非常に低く、一方、ワクチンの感染予防効果は非常に高かったので、WHOや欧州医薬品庁はメリットがリスクを上回るとして接種を推奨していますが、ヨーロッパでは国によって対応を任せています。デンマークとノルウェーはアストラゼネカ製ワクチンの使用を停止し、フランスは55歳以上、ドイツ・イタリアは60歳以上に使用しており、本家の英国は40歳以上への使用を推奨しています。わが国でもファイザー製とモデルナ製の輸入が進まず、ワクチンが不足する状況が続けば、アストラゼネカ製の使用が改めて検討される可能性があります。

  それでは、質問3)に対する回答です。

 質問3)を支持するエビデンスはありませんので、現時点ではこれはデマ情報と判断します。ネット社会では、正しい情報であるかを判断することは本当に難しいと思います。しかも、日本国民のワクチンに対する信頼性(安全性、重要性、有効性)は世界最低のレベルであると報告されたのは上述の通りです。米国のような反ワクチン活動がわが国でも活発になり、政府が対応を誤れば、新型コロナウイルス感染症に対して現時点では唯一の有効な対策であるワクチン接種も、HPVワクチンと同じ経緯を辿ってしまう可能性があり得ます。

 どのような人たちがワクチン接種を受けないと判断しているかを調査した報告は複数ありますが、若い世代と女性に多いという結果が共通しています。当初は若い世代の感染者が少なかったので、若い世代は「自分たちの問題ではない」と受け止めて、その後も無関心である可能性があります。また、本学にも届いていますが、ネット上では、ワクチン接種を受けると「不妊になる」、「流産する」、「ワクチンにはマイクロチップが埋め込まれている」、「遺伝子情報が書き換えられる」などのような「陰謀論者」の主張も、さらには医師の立場で反ワクチン論を展開する人の主張も、次々と引用されて拡散していきます。

 米国でワクチン接種が進んでいる順に50州を並べると、上位には民主党支持者が多い州、下位には共和党・トランプ支持者が多い州がずらっと並び、きれいに分断されていることがわかります。トランプ前大統領自身はワクチン接種を受けたようですが、ワクチンを政治的な駆け引きの手段にしてしまいました。わが国では、このような国民の分断を起こしてはなりません。

 7月21日、厚労省は副反応検討合同部会で、わが国でワクチン接種後に死亡した人が総計751人になり、このうち「ワクチン接種と死亡との因果関係を評価できない」と判断されたのが600人あまりと明らかにしました。しかし、この説明では十分とは言えず、大半が「因果関係を評価できない」では納得できないという人が多いのではないでしょうか。

 日本人の2020年度の年間死者数は1,384,544人ですから、1日あたり3793人が亡くなっていることになります。ワクチン接種後の751人の死亡がこの数値を上昇させているのかを解析し、不安を感ずる人たちに十分な説明を繰り返す必要があります。ワクチンへの信頼性が世界最低レベルであることを踏まえ、厚労省は一層丁寧な情報公開と説明を続け、ワクチン接種への不安の解消に努めなければなりません。

  今回のメッセージに対してご質問、ご意見がありましたら、直接私宛てにお送りください。次の機会にまとめてお返事しますので、宜しくお願いいたします。

 

2021年5月27日 (木)

学長室から~第5号~「新型コロナウイルスに対するワクチンについて-その2」

 「学長室から」2021年5月号をお届けします。今回は新型コロナウイルスに対するファイザー製ワクチンの接種を受けましたので、その体験とともに、1月号に続きワクチンの現状についてお知らせします。

1)ワクチン接種体験記

 まず、私の個人的ワクチン接種体験です。1回目の接種では、3時間後くらいから、全身の倦怠感が始まりました。熱発することはありませんでしたが、翌日朝から倦怠感が強くなりました。一度は出勤したのですが、仕事にならず、そのまま帰宅させていただきました。昼過ぎまで横になっていましたら、接種24時間後には倦怠感はほぼなくなりました。筋注を受けた左三角筋は夜から痛み始め、左腕は使えないほどでしたが、丸1日続いて2日目の朝にはなくなりました。これまでに受けた予防接種よりも、全身倦怠感が強い、注射局所の痛みが強いという印象でした。

 3週間後の2回目の接種では、1回目よりも副反応が強いという情報がありましたので、解熱鎮痛薬(アセトアミノフェン、市販名カロナール)を用意して臨みました。3時間後くらいから少し悪寒がありましたが、熱発はしませんでした。1回目の経験から、翌日は在宅ワークとさせていただいていましたが、倦怠感は1回目よりもむしろ軽く、接種翌日の昼にはほぼなくなりました。左三角筋の痛みは前回同様で、2日目の朝まで続きましたが、その後はなくなりました。解熱鎮痛薬は結局使いませんでした。

 今回のワクチンは、2回目に発熱、倦怠感、頭痛などの副反応が出やすいとされています。筋注部位の疼痛はほぼ必発です。我が国の医療従事者への接種では、発熱、倦怠感などの発現頻度は、初回は1割以下ですが、2回目は4割弱に増えています。また、副反応は若い世代に出やすく、高齢者ではかなり少なくなるとされています。念のため、若い世代は接種の翌日は休みを取り、在宅ワークとなさるようお勧めします。

 

2)コロナワクチン-その後の状況

 わが国ではワクチン政策の失敗から、ワクチン接種率は「先進国」で最低レベルに甘んじています。取組みが遅れたことなど、さまざまな要因が指摘されていますが、予防接種に対して厚労省が慎重姿勢を取り続けていることも一因であり、それにはわが国特有の歴史が背景にあります。

 これまで種痘、ジフテリア・百日咳ワクチン、流行性耳下腺炎ワクチンなどの予防接種で副反応が生じた際に、わが国では司法がワクチンに高い安全性を要求し、行政に対して厳しい判決を出してきた結果、腰が引けた厚生省は1994年に予防接種法を改正して、予防接種を義務接種から推奨接種に切り替えました。ワクチンが定期接種から任意接種になると、接種率は下がります。最近では、子宮頸がんワクチンの接種率が70%以上から1%以下まで低下したままであることはご存じでしょう。国際的には、重要な感染症に対しては「義務接種」としている国が多いのです。

 加えてわが国のマスコミは、ワクチンの有効性を解説するよりも、副反応を強調します。今回も、アナフィラキシーが発生しているという報道が目立ちましたので、一人でも直接の死亡例が出れば、わが国では接種がストップしてしまったかもしれません。7月末までに高齢者全員に接種するという目標が決まると、今度は「危険性」を忘れたかのように、予約が取れないことばかりを報道しています。

 明石家さんまさんがワクチン接種は受けないと宣言して話題になりました。接種は任意なのですから、接種を受ける、受けないは個人の判断に委ねられ、国が義務として強制するものではありません。副反応が心配などの理由で接種は受けないという個人の判断も尊重されるのです。しかし、組織に所属する立場では、接種を受けないという人たちが圧力や差別を受けるおそれがあることはすでに指摘されています。昨年の「自粛警察」と同じような動きが起こる可能性があるのです。本学でも、このような事態にならないようにしなければなりません。

 新型コロナウイルスに対する集団免疫を獲得するには、国民の少なくとも約6割が接種を受ける(あるいは自然に感染して免疫を獲得する)必要があるとされています。世界的にみて、ワクチン接種率が最も高いイスラエルや英国では、新規の感染者数は明らかに減少しています。今回接種されているmRNAワクチンの感染予防効果、および重症化予防効果は非常に高く、報告では、ファイザー製の発症予防効果は95%、モデルナ製は94%です。アストラゼネカ製は少し落ちますが、それでも70%で、季節性インフルエンザワクチンよりもはるかに高いです。

 すでに英国型などの変異が生じていますが、幸いなことに、英国型の変異ウイルスにも現在のワクチンは有効とされています。問題は新たなインド型の変異ですが、仮に現在のワクチンの効果が減弱しても、新たな変異型に対するmRNAワクチンを開発することは容易であり、数か月あれば新たな変異型にも対応できるワクチンが供給されることでしょう。この点が、不活化ワクチンを作るためにウイルスを大量に培養する必要があったインフルエンザワクチンとの大きな違いです。

 国として集団免疫の獲得を期待するのであれば、ワクチンに不安を感じている人たちに対して、国も厚労省もマスコミも、効果と副反応についてしっかりと分かり易く説明し、国民が正しい理解を得るよう努力を続けなければなりません。

 50万人以上の死者を出している米国でも、接種済みは40%余りで高止まりし、接種希望者は全体の70%までで、残り30%は「ワクチン接種は国が強制すべきものではなく、受けない権利がある」と主張する人たちであると報道されています。公共の場所ではマスクをするべきか否かと共通する議論になり、共和党のトランプ前大統領の岩盤支持層に多い意見とも言われています。若い世代への接種の促進に向けて、どのようなインセンティブを用意するかが議論されているのです。

 わが国は周囲からの「同調圧力」が強いと感じますが、上記の通り、ワクチンに対する信頼性が低く、かつまた、副反応に敏感な国でもあるので、どのような反応になるでしょうか。パンデミックに倣って、WHOはインフォデミックという言葉を作って、デマ情報に惑わされないよう注意を促してはいますが、ネットでは「専門家」からも、そうでない人たちからも、さまざまな意見が発信されていますので、一般の方には何が正しく、何がフェイクなのかを判断することも難しいのではないかと思います。

 ここでは「こびナビ」という、新型コロナウイルス感染症やワクチンに関する正確な情報を提供することを目的として、2021年2月に開設されたサイト(www.covnavi.jp)をご紹介しましょう。Q&A方式で知りたい情報が的確に提供されていると思いますので、心配なこと、気になることがあれば、ご覧になるようお勧めします。私のこの小論は研究論文ではありませんので、記載の根拠となる文献をほとんど引用していません。このサイトには文献も引用されていますので、必要な方はこちらで確認していただきたいと思います。

 

3)ワクチンの副反応、特にアストラゼネカ製ワクチンによる血栓症の合併

 ご存じのように、今回使用されているmRNAワクチンは人類史上初めて実用化されたもので、新型コロナウイルスの表面のスパイク蛋白をコードするmRNAを、1)脂質ナノパーティクルのカプセルで包んだもの、2)アデノウイルスベクターに組み込んだもの、の2種類があります。アデノウイルスベクターはもちろん、アデノウイルス自体が増殖しないように遺伝子を改変してあります。前者はファイザー・ビオンテックとモデルナ製、後者はアストラゼネカとジョンソン&ジョンソン製があります。

 すでに1億人を超える人たちが接種を受けていますので、短期的な副反応には大きな問題はないと思います。しかし、中期的・長期的な副反応については、人類の誰も経験がありませんので、正確にはわからないとしか言えません。ワクチン接種を受けることによるメリットと、予想されるデメリットを勘案して対応を決める他ないのです。しかし、ワクチンの副反応の大半は接種後6週間以内に起こるとされていますので、これまでの世界的な接種状況からは、予期せぬ副反応が中長期的な観察で初めて確認されるという可能性は非常に低いと考えてよいと思います。

 また、ワクチンの作用の人種差を懸念する声もあります。国際治験では、世界各地の約4万人ずつのグループを比較して有効性や安全性が検討されましたが、日本人はこの国際治験に参加していません。今回、わが国で承認のために実施された臨床治験の参加者は、いずれのワクチンもわずか200人程度です。これでは0.1%程度の頻度で発生する副反応は捉えられませんので、日本人を対象とする安全性試験は、一応やりましたという程度の情報しか得られていないのです。日本人に固有の副反応がもしも存在するとすれば、出現するのはこれからになります。しかし、これまでの他のワクチンの使用経験からは、この可能性も非常に低いと考えられます。

 

 世界的には、アデノウイルスベクターを利用するタイプのワクチンで、若い世代に血栓症の合併が報告されています。WHOや欧州医薬品庁は、メリットがリスクを上回るとして接種を推奨していますが、ヨーロッパでは国によって対応を任せています。皆さんの関心も高いと思いますので、岐阜大学脳神経内科の下畑享良教授に教えていただいた情報を以下に紹介します。

 報告は、デンマークとノルウェーにおけるアストラゼネカワクチン接種後28日間の心血管イベントおよび出血イベントの発生率についてです(BMJ. May 5, 2021. doi.org/10.1136/ bmj.n1114)。18~65歳が対象で、過去の一般集団を比較対象コホートとし、デンマークでは148,792人、ノルウェーでは132,472人が接種を受けています。心筋梗塞、脳梗塞等の動脈性イベントの標準化罹患率は0.97で増加はなかった一方で、静脈血栓塞栓症は、過去の一般集団の発生率から予想される30例に対し、ワクチン接種群では59例あり,標準化罹患率は1.97と約2倍に増加し、ワクチン接種10万回あたり11回の過剰イベントに相当しました。脳静脈血栓症の標準化罹患率は2.025で、予防接種10万回あたり2.5回の過剰発生でした。

 以上より、ワクチン接種により静脈血栓塞栓症の発生率が上昇することが示されました。静脈血栓塞栓症の絶対的リスクは小さいこと、ワクチンの感染予防効果は証明されていること、さらに各国の状況等を考慮して、ワクチンを接種するか否かを判断することになります、とまとめられています。

 ヨーロッパではこのような報告を基に、デンマークとノルウェーはアストラゼネカ製ワクチンの使用を停止し、フランスは55歳以上、ドイツ・イタリアは60歳以上に使用しており、国により対応が分かれています。本家の英国は40歳以上への使用を推奨しています。

 

4)我が国の対応

 5月20日に厚労省で専門部会が開かれ、モデルナ製とアストラゼネカ製ワクチンの国内販売が承認されました。モデルナ製は18歳未満には用いないという制限はつきましたが、24日から始まった東京・大阪圏における公的な大規模接種に使われています。一方、アストラゼネカ製は、承認はされましたが、直ちに予防接種法の対象とはしないことになりました。したがって、当面、公的接種に用いることはなくなり、推奨される年齢などについて、さらに検討を重ねることになります。やはり、アストラゼネカ製のアデノウイルスベクターワクチンの副反応に重きをおいた決定と思います。

 わが国では7月末までに高齢者に対する接種を終了すると宣言していますが、接種を受けるワクチンを選べるかどうかが先送りされていました。厚労省は、当初は選べることを前提として、1接種会場では1種類のワクチンを使用すると想定していましたが、河野太郎担当大臣がこの方針を否定したために、現場で混乱が起きました。最近になってファイザーから追加購入できることになり、アストラゼネカ製を使わなくても、不足はなくなったようですが、皆さんがファイザー製・モデルナ製を希望すると、今度はアストラゼネカ製のワクチンが余り、ワクチンが行き渡らない国々から批判される可能性がありました。21日の厚労省の決定によって、アストラゼネカ製ワクチンはおそらく今後、備蓄や途上国への援助などに振り替えられると思います。

 ワクチンの輸入量に限りがあるのであれば、本来は感染リスクが高い地域からワクチン接種を行うべきです。感染者数が少ない地域にも一様に、平等にワクチン接種を行うのは、最も効果的な予防法とはいえません。感染リスクが高い地域の若い世代が、感染してもほぼ無症状で、ウイルスをさらに拡散させてしまうのを防ぐ必要があるのですから、住民の年齢ではなく、感染リスクが高い地域での接種を優先するべきなのです。

 オリンピックが開催されるかどうか、まだ決定されていませんが、選手への接種を優先することにも批判があり、接種を受けないという選手にも批判があります。選手には大変悩ましい問題であり、オリンピック関係者は、選手が競技に専念できる環境を用意しなければなりません。

 

4)本学の対応

 本学では、感染予防のため、また感染しても重症化を防ぐ目的から、世界的な接種状況と副反応の発生状況を勘案して、ファイザー製、あるいはモデルナ製ワクチンであれば、接種のメリットがデメリットを上回ると判断し、若い世代の学生さんたちにもワクチン接種を受けてもらいたいと考えています。ワクチンに対して慎重なスタンスをとる日本人が、短期的な効果と副反応、中長期的な効果と副反応の恐れについて冷静に判断するには、国から繰り返し、的確な情報提供を続けることが必須です。若い世代はこれまで、仮に感染しても無症状か軽症が多かったのですが、英国型変異では従来よりも若い年齢層でも、肺炎が急速に悪化して死亡してしまう例が大阪から報告されており、これまでとは状況が変わっています。若い世代でも重症化するリスクが高まったのであれば、若い世代もワクチンによって予防する必要があると考えるのが妥当です。

 

 さまざまな理由で、この国はワクチン接種について他国の周回遅れとなってしまっています。自粛をお願いするばかりでは、緊急事態を宣言しても、蔓延防止等重点措置を採っても、もはや多くの国民には両者の違いもわからなくなっているのではないでしょうか。経済的に困窮する人たちが増えていることも心配です。完全失業者は増えていないのかもしれませんが、「実質的」失業者が大幅に増えていると指摘されており、いまだ十分な支援は届いていません。コロナ前は減少していた自死が最近増加しているのも、大変気になるところです。

 オンライン授業が続く大学生もまた、深刻な影響を受け続けています。こうした事態を打開するためには、大学生にもワクチン接種を進める以外に、現状では有効な選択肢はありません。萩生田文部科学大臣は5月14日の記者会見で漸く、「学生・教員も接種対象者となるよう取り組んで行きたい」と述べています。いつになるかわからないワクチン接種の完了まで、こうした状況で大学を運営していくしかないのは大変残念です。1年間、この国はいったい何を学び、備えてきたのかと情けなくなりますが、それでも、今できることを積み重ねて、この危機に対処して行く他はないのです。皆さんの気持ちが倦んでしまっては、学内でクラスターが発生し、大学はさらに大きな影響を受けかねません。学生諸君を守りながら、教職員の皆さんと協力して大学の使命を果たして行きましょう。

 

2021年3月26日 (金)

学長室から~第4号~「プロフェッショナルとは」

 本学は、保健・医療・福祉・スポーツの分野に特化して、多職種の専門職と連携し、地域のクライアントのQOL向上を支援する「優れたQOLサポーター」を育成することを建学の精神として掲げています。「優れたQOLサポーター」は当然、その道の専門職(プロフェッショナル:以下プロ)なのですが、それではどういう人が、世の中からプロと認められるのでしょう。

 私が医学生を相手に、ノーマライゼーションについてのゼミを始めた1990年代初め頃の定義では、プロたる要件の第一は、その分野に関する専門的な知識を持っていること、第二は、その専門知識を駆使して、一般の人にはなし得ない技量を発揮できることでした。大切なのは、それでは専門的な知識と技量を備えたらプロと言えるかです。ゴルゴ13はプロか、ブラックジャックはプロなのか、と医学生には問い続けてきました。

 言うまでもなく、第一、第二の要件を満たしただけでは、プロとしては不十分で、第三の要件が必要とされます。それは、その集団が代々受け継いできた価値観、使命感(ここでは使命観と書きます)、倫理観などを身につけていることです。私は「矜持」という言葉が好きで、これらを「矜持」と言い換え、プロたるためには「矜持を持たねばならない」と言い続けてきました。それでは保健・医療・福祉・スポーツの分野でプロとなるためには、どのような矜持が必要でしょう。

 

 医師の領域で考えてみますと、古くは「Hippocratesの誓い」がありました。米国の医科大学では、現在も卒業式でこれを取り上げる大学があるようですが、流石に紀元前400年頃のギリシアのものを、そのまま現代に持ってくるのは無理があります。一方、看護師には、米国DetroitにあったHarper病院附属看護学校の委員会が、医師の「Hippocratesの誓い」に倣い、「看護師の誓い」として1893年に作成した「Nightingale誓詞」があります。戴帽式の際にこれを暗唱するという習慣は、わが国を含め世界中の看護学校に瞬く間に広まりました。看護師を志す学生にとって、この誓詞にこめられた「Nightingale精神」を自らのものとすることが最も大切であるのは、看護師がキャップを被らなくなり、「戴帽式」がなくなってしまった今も変わらないでしょう。

 かつて、西洋医学を学び始めた日本人医師には、緒方洪庵先生が適塾に掲げた「扶氏医戒之略」がありました。扶氏とは、当時、西洋医学の最高峰の一つであったベルリン大学の内科学教授Christoph Wilhelm Hufelandのことです。彼は亡くなる直前の1836年にその集大成として「Enchiridion Medicum(医学大全)」を書きました。当時の最高権威の著作はすぐにオランダ語、英語などに翻訳されて欧州に広まりましたが、そのオランダ語訳がはるばる極東の日本まで伝わってきたのです。日本人のために西洋医学の教科書を書こうとしていた洪庵先生は、この全訳(「扶氏経験遺訓」)に取り組まれたのですが、その最後の章が今日でいう医療倫理を扱った章でした。杉田玄白の孫にあたる杉田成蹊が先にこの章を翻訳し、「医戒」と名付けて出版したので、洪庵先生はこの「医戒」から12カ条を抜粋し、「扶氏医戒之略」として門下生に示したのです。今読み直しても、違和感を覚えるところは数か所だけで、このままでも十分通用する内容です。福沢諭吉を始めとする門下生は、洪庵先生が掲げた額を朝に夕に仰ぎ、ここに示された精神を我がものにしようとしたに違いありません。

 しかし、戦後の医学教育から、ドイツ発の扶氏医戒之略は姿を消してしまいました。そもそも「医師たるものは」などというお話は、私も医学生になりたての頃に、医学部長や病院長から伺ったのかもしれませんが、記憶に残っていません。医師になってからも、諸先輩から「これが医師としての矜持だ」と叩き込まれた記憶もありません。最も基本的な理念が諸先輩から明確に伝えられないままに、わが国では医学生は医師になってしまうのです。そのようなものは、人から教えられるものではなく、自分で身につけるべきものだという意見も、よく耳にしました。

 代わって登場したのが、世界医師連合World Medical Associationが公開してきた3つの宣言です。国際連合が発出した人権宣言と同じく、基本的人権を扱った1948年のGeneva宣言、ヒトを扱う医学研究の倫理を定めた1964年のHelsinki宣言、患者さんの権利擁護を定めた1981年のLisbon宣言です。最近は医学部でも、「戴帽式cap ceremony」に倣って「白衣式white coat ceremony」を行うところが増えていますが、ここで紹介されるのは「ヒポクラテスの誓い」とこの3宣言です。

 

 1970年代の米国に始まった患者さんの権利の主張は、インフォームドコンセントの理念となって、医療の現場に大きな影響を与えてきました。こうした医師患者関係の変化に危機感を抱いた欧米の内科系専門医の学会、すなわち米国のAmerican Board of Internal Medicine (ABIM)とAmerican College of Physicians- American Society of Internal Medicine (ACP-ASIM)、および欧州のEuropean Federation of Internal Medicine (EFIM)の3団体は、2002年に合同して「新ミレニアム時代における医のプロフェッショナリズム:医師憲章(Medical Professionalism in the New Millennium: A Physician Charter)」を公表しました。

 現在、世界標準の考え方とみなされているこの「医師憲章」では、3つの基本的原則と10項目のプロとしての責務が掲げられています。原則は、(1)患者の福利優先primacy of patient welfare、(2)患者の自律性patient autonomy、(3)社会正義social justiceの3つです。次いで責務は、(1)プロとしての能力、(2)患者との誠実さ、(3)患者情報の守秘義務、(4)患者との適切な関係の維持、(5)医療ケアの質の向上、(6)医療ケアへのアクセスの向上、(7)有限な医療資源の適正配分、(8)科学的知識、(9)利益相反の管理による信頼の維持、(10)プロとしての責務(後進の育成など)、の10項目に貢献する意志commitmentsが挙げられています。

 また、医学教育の分野では必ず引用されるArnoldとSternによるmedical professionalismの定義では、臨床的能力(医学知識)、コミュニケーション・スキル、倫理的・法的理解という3つの基盤の上に、卓越性、人間性、説明責任、利他主義を4本の柱として医のプロフェッショナリズムが構築されています。

 医師や看護師を対象としたプロフェッショナリズムのお話になってしまいましたが、PT、OT、STの皆さんもプロとしての「倫理綱領」を定めていますし、関連するメディカルスタッフの学会もそれぞれ「倫理綱領」を定めています。プロの定義はさまざまになりますが、「プロとは何か」という問いに対しては、いずれもプロを構成する要素を挙げて、全体像としてまとめるという形式を採っています。取り上げられる要素は概ね共通していますが、必要条件を羅列しているだけともいえます。

 

 欧米のように、医のプロフェッショナリズムの定義づけが進み、プロフェッショナルであることが医師として求められる資質、あるいは能力と理解されるようになれば、これらの資質・能力を身につけたか否かが医学教育のアウトカム評価として用いられるようになるのは当然の流れです。こうした欧米の動きを受けて、わが国でも「医学教育のモデル・コア・カリキュラム」の改訂が続いていますが、医師としての資質・能力の中で何が最も必要なのか、それをどのように教えるのかは明示されておらず、各大学の取り組みに任されているのが現状です。医療職に対する専門教育も、同じ状況ではないでしょうか。

 京都大学は2016年4月から、アンプロフェッショナルな学生を評価するというユニークな取り組みを行っています。ここでは「プロとは」を定義せず、アンプロフェッショナルな態度の実例を挙げ、そのような振る舞いを行った学生を、京都大学医学部学務委員会臨床実習倫理評価小委員会に報告するよう求めています。「アンプロフェッショナルな学生」とは、「診療参加型臨床実習において、学生の行動を臨床現場で観察していて、特に医療安全の面から、このままでは将来、患者の診療に関わらせることが出来ないと考えられる学生」と定義され、「英国圏では、同様の評価を「Fitness to Practice」と表現し、文字通り、「将来、診療に関わらせることが出来るかどうか?」を評価しています」という説明がありますので、「Fitness to Practice」を意識したものであることがわかります。

 こうした定義に当てはまる学生を排除しなければならなくなっているということは、医のプロとなるために備えているべき態度や振る舞いは、将来、医療の分野で対人サービスに従事する医学生ならば、当然身につけていて然るべきである、という前提が崩れてきたことを示しています。偏差値の高いことが医学部に合格する必要条件であれば、臨床の現場には不向きな学生も、医学部に進学してくるのは当然です。

 新型コロナウイルス感染症が拡大しつつあった2020年3月、研修医が相次いで感染したことに、社会から非難が集中したのを覚えておられるでしょう。密閉・密集・密接を避けるために、夜間の外出、会食の自粛が求められている最中に、医療従事者の一員である研修医が懇親会を開き、結果として、感染クラスターが発生した事例が複数ありました。当事者だけでなく、彼らを教育した医学部や医療機関も非難され、謝罪の声明を出すという事態は、社会は医師を始めとする医療従事者に対して、より高い「モラル」を教育するよう求めていることを意味しています。

 

 それでは、本学では学生諸君に何を伝え、どのようなプロを目指してもらうのでしょう。皆さんそれぞれにお考えがありましょうが、私は基本的な理念を共有することから始めたいと思います。今後も変わらず、地域包括ケアの実現を目指すのであれば、基本的な理念は「地域リハビリテーションの実現」であり、「ノーマライゼーションの実現」になります。これにTom Kitwoodが提唱する「その人らしさの尊重」を加えます。これまでにも何度か、「共感する力」が重要ということを話したり、書いたりしてきましたが、「共感する力」も加えたいと思います。

 今後の高等教育は、Diploma Policyを常に念頭に置き、これをCurriculum Policyと紐づけして、卒業の時に身につけているべき能力としてのDPへの達成度を学年毎に評価する方向に進むと想定されます。本学も大学院教育から見直しを始めており、今後は学部教育についても、こうした議論を深めて行きます。本学が目指すプロとは何か、どのように教育すべきなのか、ぜひ皆様のご意見をいただきたいと思います。

 

2021年1月22日 (金)

学長室から~第3号~「新型コロナウイルスのPCR検査とワクチンについて」

 教職員の皆様、遅ればせながらですが、あけましておめでとうございます。本年もどうぞ宜しくお願い致します。新型コロナウイルス感染が昨年末から急速に拡大したため、とても「良き新年をお迎えください」とは申し上げられません。どうかくれぐれも感染しないように、また感染させないように、十分ご注意いただきたいと思います。

 新型コロナウイルス感染症については、巷にもインターネットにも、さまざまな情報が溢れています。玉石混淆で、何が真実なのか、容易には判断できないことも多いのですが、科学の立場から、これまで明らかになっていることを整理してみるのは、価値あることと思います。今回はPCR検査と話題のワクチンについて、1月13日に健康ビジネス協議会で講演した内容を一部ご紹介します。皆様のご参考になれば幸いです。

 

 新型コロナウイルスが季節性インフルエンザよりも対応が難しいのは、オックスフォード大学による感染ルートの解析で、発症前の無症候感染者からの感染が46%、症状のある感染者からが38%、最後まで無症状の感染者からが10%、その他のルートからが6%と報告されているように、すでに半数以上が無症候の感染者からの感染であることによります。

 わが国で続けられてきたクラスター解析は、発症者を特定し、隔離することで感染拡大を抑制する方法であり、発症者対策でした。しかし、無症候者からの感染が半数以上となれば、クラスター解析の手法は通用しません。また、神奈川県の保健所では患者数の急増のため、濃厚接触者の追跡調査を断念するところが出てきて、クラスター解析自体が不可能になっています。感染が疑われる集団は全員検査をして、無症候感染者を特定しなければ、対策は立てられません。このためにPCR検査を行うのですが、依然として感度70%、特異度99%という誤った数字を基に、PCR検査を増やすべきではないという意見が声高に叫ばれています。

 「感度」とは、感染している人の中でその検査により正しく感染している(陽性)と判定される割合を指します。感度70%とは、実際は感染していても陰性と判定される人(偽陰性といいます)が30%生じることを意味します。偽陰性が生じる原因は、実際には検体採取の時期によることが多く、PCR検査の検出力が不十分であるためではありません。また、検体の採取方法や保存方法等が適切かという問題もあります。最近、感度は90%以上という報告が国内から出ています。

 また「特異度」は、感染していない人が正しく感染していない(陰性)と判定される割合を指します。特異度99%とは、1万人検査をすると1%の100人は感染していないにもかかわらず、陽性と判定される(偽陽性といいます)ことを意味します。しかし、PCRは非常に鋭敏な検査法であり、検体の混入による技術的問題くらいしか偽陽性となる理由がありません。検体処理を自動化すれば、特異度は99.999%以上に高めることができるとされています。であれば、10万人を検査しても、偽陽性は1人以下になります。

 無症候感染者からの感染が半数以上となった現在も、「一般の人たちに広く、偽陽性・偽陰性の多いPCR検査を実施すれば、皆が病院に殺到して、医療崩壊が起こる」と言い続けるのは、悪質なミスリードです。検査をしなければ、感染者か否かが判断できないのですから、発症者対策だけでは感染防御対策にならなくなっているのが現実です。後ほど紹介する黒木登志夫先生は、民間臨調の調査・検証報告書を引きながら、PCR検査体制の充実・強化は、2010年の新型インフルエンザの蔓延の時以来、指摘されてきたことでありながら、わが国は台湾や韓国のようにSARSやMERSを経験しなかったために、検査や医療体制の整備に取り組んでこなかったと述べておられます。

 1月14日のBSフジに出演した田村厚労大臣は、「PCR検査は費用対効果が低い」ので、医療・介護施設など、可能性の高い場所で集中的に検査を行う方針と述べていました。しかし、これでは最近特に増加している、20代、30代で無症状ながら感染力は保持している感染者を捉えることはできません。5,000人近い学生・教職員の安全を守らねばならない立場からは大変心配です。

 

 新型コロナウイルス感染症では、高齢者や基礎疾患がある人は重症化したり、死亡したりするリスクが高いと指摘されています。特異的な治療薬はないものの、重症者の治療にはわが国も経験を積んできたので、致死率は初期よりも低下してきていました。ウイルス自体の変異によって、軽症化してきた可能性もあります。わが国での感染の第1波は欧州型、第2波は日本型の変異型ウイルスによるものでしたが、現在進行中の第3波に今話題のイギリス型や南アフリカ型などの変異型ウイルスがどれだけ寄与しているかは、今後の解析次第です。それでもわが国と全世界の致死率は、1月10日時点でそれぞれ1.41%、2.14%ですから、こうした状況を打破する切り札として期待されるのがワクチンなのです。

 従来用いられてきたウイルス感染症に対するワクチンは生(弱毒化)ワクチン、不活化ワクチンなどで、ウイルスを大量に培養して調整をする必要がありました。一方、今回開発されたワクチンは核酸ワクチンと総称されるものです。新型コロナウイルスはRNAウイルスなので、ウイルス表面のスパイク蛋白質と呼ばれる蛋白質をコードするメッセンジャーRNA(mRNA)を体内に接種するのです。細胞に取り込まれたmRNAの情報を基にしてスパイク蛋白質が合成され、これに対して免疫反応が惹起されて、スパイク蛋白質に対する抗体が産生されます。新型コロナウイルスが体内に侵入してくると、例えば気道の上皮細胞に存在する受容体とスパイク蛋白質が結合し、ウイルスが細胞内に入り込んで、感染が成立しますが、抗体が産生されていれば、これがスパイク蛋白質と結合することによって、スパイク蛋白質と受容体との結合を妨げ、感染を防ぐのです。核酸ワクチンは、従来のワクチンよりも遥かに短時間で開発ができるというメリットがあります。また、仮にウイルスが変異してスパイク蛋白質の構造が変化しても、新たな変異mRNAから蛋白質を合成させ、新たな抗体を産生させればよいのです。

 今回ファイザー・ビオンテックとアストラゼネカから提供されたワクチンは、いずれもこのタイプのmRNAワクチンです。これまで人類が実用化したことがなかったワクチンですから、安全性はしっかりと担保されなければなりません。次いで、効果も実証されなければなりません。約2万人ずつの接種群とプラセボ群の比較で、大きな副反応はなく、発症者が90%以上少なくなったという結果から、欧米ではすでに使用が承認され、接種が始まっているのはご存じの通りです。

 わが国では、アストラゼネカが9月4日から約250人を対象に、ファイザーは10月20日から160人を対象に、国内第Ⅰ/Ⅱ相試験を開始しています。ヤンセンも9月1日から250人を対象に、組換え体ベクターワクチンの国内第Ⅰ相試験を開始しましたが、一時、海外で副反応が生じて中断されました。今は再開されています。ノバパックスの組換え体ベクターワクチンと、昨年12月1日に米国規制当局が緊急使用許可を出したモデルナのmRNAワクチンは、武田薬品が近く日本人を対象とした臨床治験を開始することになっています。ファイザーは12月にわが国での製造承認申請を出しました。いずれの治験も日本人の参加者数が少ないのが気になりますが、今後、日本人に対する安全性と有効性が確認されれば、規制当局の承認を経て、わが国でも接種が始まるでしょう。

 これらのワクチンはさまざまな副反応が生じることが予想されました。まず、デング熱に対するワクチンが失敗したように、ワクチンを接種することで、感染症が悪化してしまう現象が知られています(抗体依存性感染増強といいます)。新型コロナウイルスに対するmRNAワクチンでは、これまでの欧米での接種状況からは、幸いこうした副反応は起きていません。

 わが国のニュース番組では副反応、特にアナフィラキシーが生じていることが大きく報道され、「それでもワクチン接種を受けますか」というようなインタビューが続きます。アナフィラキシーは確かに非常に恐ろしい副反応ですが、一人一人の体質の違いに由来するものですから、予測は困難なのです。ハチに刺された全員がアナフィラキシー反応を起こすわけではありませんが、一部の人はショック死してしまいます。給食のそばを食べて、亡くなってしまった小学生もあります。過去に何らかのアレルギー反応を起こしたことがある人は要注意です。個人によっては、こうした強い免疫反応が起こり得ることを覚悟しなければなりません。

 また、私は脳神経内科医ですが、「ワクチン接種後脳脊髄炎」という自己免疫性脳脊髄炎があることは、研修医の頃に読んだ教科書にもすでに記載されていました。このグループには特発性、感染後、ワクチン接種後という3型があり、ワクチン接種後に副反応として脳脊髄炎が起こることがすでに知られていたのです。感染源、あるいはワクチンと個体の免疫系との相互作用によるものですので、発症前に発症を予測することは困難です。遺伝子が全く同一である一卵性双生児の間でも、免疫反応の起き方は異なるのです。今回も海外の治験では、脳脊髄炎の一型である横断性脊髄炎が発生して、一時、治験が中断されています。

 新型コロナウイルスを抑え込むためには、国民の約6割に自然感染、あるいはワクチンによる集団免疫が成立する必要があると推計されています。ワクチンの接種は国民をこのウイルスから守るために必要な措置なのですが、そのために誰かが副反応を起こして犠牲になることを、日本人は許容できるでしょうか。世界でわが国だけが子宮頸がんワクチンの接種ができなくなったままで取り残されている現状や、今回のマスコミの報道姿勢をみる限り、折角のワクチンが認可されても、わが国では一人の副反応のために、その後は接種できなくなる可能性があるのではないかと思っています。こうした事態に至らないためには、副反応を起こした方は国として徹底的に守るという明確な意思表示が必要です。ワクチン接種を広める必要があることは明らかなのですから、なぜ新型コロナウイルスに対するワクチン接種が必要なのか、どのような副反応が予想されるのか、万一の副反応に対して国はどのように責任を取るのかを明示し、今のうちに国民の合意を得ておかねばなりません。

 私も高齢の基礎疾患持ちですので、新型コロナウイルスに感染しないように、日々最大限の注意を払っているつもりですが、ここまで無症候感染者が増えてしまうと、通常の感染防御策では限界とも感じています。ワクチンが認可されれば、接種を受けようと思います。

 

 本稿の執筆にあたり、行政内部の情報は、昨秋出版された民間臨調の調査・検証報告書を参考にしています。皆様には、以下の新書2冊を参考図書として推薦します。

1)アジア・パシフィック・イニシアティブ:「新型コロナ対応民間臨時調査会調査・検証報告書」、ディスカヴァー・トゥエンティワン、東京、2020/10/25

  巻末401-403ページのPCR検査に関する参考資料2は、PCR検査の感度を70%、特異度を99%とした議論です。

2)黒木登志夫:「新型コロナの科学 パンデミック、そして共生の未来へ」中央公論新社(中公新書2625)、東京、2020/12/25

  新型コロナウイルスについて、科学の立場から書かれた最も新しい、最も信頼すべき解説書であると思います。

3)峰宗太郎、山中浩之:「新型コロナとワクチン 知らないと不都合な真実」、日経BP・日本経済新聞出版本部、東京、2020/12/8

  今話題のワクチンに関する一般向けの解説書です。ただし、第6・7章のPCR検査に関する部分は、やはり感度70%、特異度99%を採用しての議論です。

 

2020年11月30日 (月)

学長室から~第2号~「QOLを巡って」

 本学の建学の精神は、多職種の「優れたQOLサポーター」を育成することにあります。QOLは通学バスの側面にも大きな字で書かれていますので、本学の皆さんには馴染み深い言葉ですが、今回はQOLについて改めて考えてみました。

 

 Lifeには「生活」だけでなく、「生命・命」や「人生・生」という意味もありますから、QOLという言葉にも、普通訳されている「生活の質」にとどまらない拡がりがあります。このようなQOLを、誰がどのようにして測るのでしょう。QOLが高い、低いとはどういうことなのでしょう。

 QOLの評価尺度にはまず、一般的な尺度と疾患特異的な症状を評価する尺度があります。複数の次元の質問に答えるプロフィル型の一般的な尺度として、特にEQ-5DやSF-36などがよく用いられています。これは回答者の主観的特性が定量的に数値化されたものですので、ここではこれを「医学的」QOLとしましょう。回答者は、意識があり、自らの状態をよく把握していて、意思伝達が可能な個人であることが前提です。回答者の主観的判断ですから、他者によって判断されたQOLは回答者の主観的特性にはなりません。この立場では、他者による判断は回答者のQOLとして採用できないことになります。さらに、認知症などでこの前提条件を満たすことができない人のQOLについては、自律した個人とは別の議論が必要になることも言うまでもありません。

 少し古くなりましたが、New jerseyのJohn Bachによる報告(1993)があります。筋ジストロフィーを主とする、長年人工呼吸器を使用している患者さんたちと、この人たちに日常のケアを提供している各種の専門職の人たちにそれぞれ、Life Satisfaction Index (LSI) という指標を用いて、0から7点満点で現状を評価してもらうと、ともに約5.0点で変わらないという結果になりました。次に、この専門職の人たちに、自らがケアを担当していて、人工呼吸器をつけて生活している人たちに代わって、彼らのLSIを推定してもらうと、平均2.4点と当事者による評価の半分の値になったというのです。他者が当事者に代わってそのQOLを判断することの危うさは、以前から指摘されていたのです。

 一方、「医学的」QOLに対して当事者がどのような価値を見出したのか、自らが置かれている医学的な状況にどのような価値があると判断したのかを評価するためには、医学的QOLよりもさらに包括的なQOL尺度が必要になります。当事者によるこのような価値判断が付加されたQOLを、ここでは仮に「個人的」QOLとしましょう。例えば、Schedule for the Evaluation of Individual QOL: a Direct Weighing procedure for QOL(SEIQoL-DW)という評価法が1995年にアイルランドで開発されています。回答者が重視する生活上のさまざまなドメインを回答者が選び、自ら重み付けをして集計する方法で、選ばれるドメインは経時的に変化していきますが、評価を続けることができます。国立病院機構新潟病院の中島孝院長らが日本語訳を作成して普及に努めてきましたが、やはり煩雑だからでしょうか、広く利用されているとは言い難いです。

 

 では、「医学的」QOLに基づいて、他者との比較はできるでしょうか。他疾患の患者さんとの比較できるでしょうか。QOLが低いことを「助ける価値がない」という根拠に用いることはできるでしょうか。

 医療経済学ではQALY(Quality-Adjusted Life Years)という指標が費用対効用分析に広く用いられていますが、これはQOLと生存年数を掛け合わせた効用値です。ここでのQOLは、完全な健康状態を「1」、死亡を「0」として数値化したもので、これに生存年数を掛けたものを積算してQALY値が算出されます。例えば、QOLが1の健康な状態で10年生きた場合はQALY=10、その後QOL=0.5の状態で10年生きた場合はQALY=5で、合計は15QALYとなります。有益な医療活動ほど、高いQALY値を生み出すとされ、効果的な医療活動とは、1QALY当たりのコストが可能な限り低いものであり、それが優先順位の高い活動とされます。ですから、QOLの評価方法が課題となるのですが、脳卒中後遺症で右半身麻痺と失語を合併している患者さんのQOLはいくつとするのでしょう。左半身麻痺のみだったら値は変わりますか。こうした患者さんを身近に診てきた医師としては、QOLとしては上述した「個人的」QOLを用いるのが望ましく、QALYのような指標をQOLと呼ぶこと自体に違和感を覚えます。

 医療経済学ではQALYを導入することによって、医療の費用対効用を評価することができるようになったので、QALYの評価は既に定まっていると思いますが、さまざまな批判もあります。そもそも「完全な健康状態」が最高なのでしょうか。完全にdisease-freeである状態を健康とするのは、未だWHOの定義にもありますが、今や古い健康観というべきではないでしょうか。超高齢で、完治はし得ない複数の疾病をかかえながら生活して行かざるを得ないわが国のような社会では、健康とは「完全に疾病がない状態」とはもはや言えないでしょう。複数の疾病を抱えながらも、それをやり繰りし、レジリエンスを発揮しながら、「QOL」を高めていけることを健康な状態と考えるパラダイムシフトが必要と思います。

 満足とは程遠い状態で長く生きるよりも、期間は短くても「健康な」状態を皆が選択するであろうという考えは、これからの日本社会でも前提にできるのでしょうか。より高いQALYを生み出す医療を高く評価し、1QALY当たりのコストが少ない医療を優先するように、本当に皆が望んでいるのでしょうか。QOLが低く、QALYが低い医療活動は優先順位が低いとすると、QOLが低い患者さんに対する医療は「助ける価値」と結び付いて、価値が低いので不要と判断することになるのでしょうか。功利主義を突き詰めると、「枯れ木に水をやる必要はない」ことになってしまいます。また、QOL評価の前提となる社会保障制度や福祉制度の充実度はQOL評価に影響しますが、このような要素の影響はどう考えるのでしょうか。

 

 QOLを的確な指標によってアセスメントすることは、QOLサポーターとして活動するための第一歩となります。それぞれのクライアントに相応しい評価法を用いればよいのですが、医療経済学上のQALYと、筋萎縮性側索硬化症患者さんの場合のように難病医療の現場で必要な個人的QOLには、乖離があると感じてきました。QOLという用語はやはり本来は、自律した個人の主観的判断に価値判断を加えた「個人的」QOLに対して用いられるべきではないかと考えています。

 慶応大学の権丈善一教授は「QALYの倫理的問題はおよそ100年前に言い尽くされている」(「ちょっと気になる政策思想 社会保障とかかわる経済学の系譜」勁草書房、2018年)と書いておられて、専門家には解決済みの問題なのかもしれません。ここでは長年、神経難病や認知症の患者さんと家族を包括的に支える体制づくりに関わってきた一臨床医としての実感を書かせていただきました。本学作業療法学科の能登真一教授はQOL評価の分野で活躍され、新たな指標の提案もなさっておられます。「優れたQOLサポーターの育成」を目標に掲げる本学では、「QOL」という言葉に対する理解を深めていく必要があります。

 皆様のご批判、ご教示、ご意見をいただけましたら幸いです。

 

2020年9月25日 (金)

学長室から~第1号~

 本来は4月からと考えて準備してきた「学長室から」ですが、新型コロナウイルス感染症の拡大のため、発信の機会を失い、後期の授業開始を迎えてしまいました。この間に、学生の皆さんと保護者に向けて、本学の新型コロナウイルス感染症に対する方針を説明する「学長メッセージ」は実に10号まで進みました。後期は漸く対面式で、本学にとって極めて重要な実習を始めることができるようになりました。準備にあたってきてくださった教員・職員の皆様に、心から感謝と御礼を申し上げます。

 本学は10月下旬に7年振りの外部認証評価を受ける予定です。これが無事終了しましたら、その後は来年4月にスタートする新たな長期将来計画(10年間)、中期計画(3~4年間)、および単年度のアクションプランの立案に本格的に取り組むことになります。学長として2年の任期の間に目指す内容は、6月に「学長マニフェスト」としてお示ししていますので、これを補完しながら、今回から日々考えていることを皆様にお伝えして行きたいと考えております。

 第1号は自己紹介を兼ねて、新潟大学脳研究所長の時に、日本医事新報の「炉辺閑話」という企画に投稿を依頼された機会に、自分の先祖を振り返って用意した原稿に、今回加筆させていただいたものです。お目通しをいただけましたら幸いに存じます。

 

 

「一期一会」

 私の先祖は、彦根藩井伊家の江戸屋敷で漢方医の末席にいたと伝え聞いています。真偽のほどはわかりませんが、兄の元には殿様から拝領したという谷文晁作の虎の屏風絵があります。とても汚れており、かつまた贋作が非常に多い方なので、皆偽物と思っていて、鑑定団に出したことはありません。

 遠い先祖のご主人様ですので、親近感を感じるのですが、幕末の大老井伊直弼は茶人としても名高い人でした。直弼が遺した「茶湯一会集」には、「そもそも茶湯の交会は一期一会といひて、たとえば、幾たびおなじ主客交会するとも、今日の会にふたたびかへらざる事を思へば、実に我一世一度の会なり、さるにより、主人は万事に心を配り、〔中略〕実意を以て交わるべきなり、是を一期一会といふ」とあり、これが「一期一会」という言葉が使われた始めとされています。

 「一期一会」は、広辞苑に「生涯にただ一度まみえること、一生に一度限りであること」とある通り、「一期」は仏教用語で、人が生まれてから死ぬまでの一生のことですから、一生に一度しかない集まり、一度限りの出会いという意味です。千利休の高弟山上宗二による「山上宗二記」にも、「一期に一度の会」という表現がありますから、茶道の心得として古くから伝えられてきたものです。

 しかし、直弼のいう「一期一会」はニュアンスが違っています。これからも何度も茶会で同席する人だとしても、今日の会は二度と同じ会に戻ることは出来ないという意味で、一世に一度の出会いになるので、主人は万事に心配りをしなければならないというのです。茶道を離れて、毎日顔を合わせている友人・同僚や親子・夫婦であっても、出会いのひと時ひと時が「一期一会」なのだから、そのひと時を大切に、ということになります。

 直弼の「一期一会」は茶道の心得としてだけではなく、あらゆる対人サービスの現場に 相応しい心構えでもあります。私は脳神経内科を専門とする臨床医ですので、患者さんやその家族には外来でも病棟でも、何度も出会う機会がありましたが、その出会いは二度と同じ場面に戻ることは出来ないので、毎回が「一期一会」なのだと考えることにしてきました。だからこそ、その出会いの時に、目前の患者さんのために最善を尽くさなければと思えるのです。

 私も古稀を迎える年齢となり、これまで以上に、ひと時ひと時を愛おしく感じるようになりました。新潟医療福祉大学の皆様からも、たくさんの新たな「一期一会」をいただいております。皆様との今回のご縁に感謝しつつ、本学の教学マネジメントに全力を尽くし、建学の精神に謳われている「優れたQOLサポーター」の育成と、「教職員の自己実現を支援する大学を目指す」・「面倒見の良い大学を目指す」・「持続的に発展する大学を目指す」というマニフェストの実現に取り組んで参ります。

 

2020年9月25日