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2011年10月

2011年10月 6日 (木)

最後のインカレを終えて 〜松岡翼〜

松岡翼くん(山形県:山形中央高校出身)
泳ぎはもちろんのこと、色々なことに対してこだわりを持つ選手で、入学当初からフリーのエースとして活躍してくれました。途中、膝の故障で本当に苦しんだ時期もありましたが、最後の1年間は、翼らしい練習やレースをしてくれたと思います。また大会では、いつも最高にかっこ良いガッツポーツを見せてくれました!

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『ラストインカレを終えて(松岡翼)』
最後のインカレを終えた直後は「最後」という実感が全くなく、最近徐々に「あ、終わったんだっだ」と感じるとともに、寂しい気持ちもこみ上げてきています。私は2年の秋からは自分のため、チームのためと思い、もっと泳ぎを変えていかなければと試行錯誤し、実践していった結果、どんどん悪い方向に向かったのに加え、怪我や故障も続き自暴自棄になっていました。そしていつしか水泳が大嫌いになっていました。
しかし、そんな私を立ち直らせてくれたのは、一緒に練習しているチームメイトと最後まで見捨てずに叱咤激励して下さった下山先生、馬場先生の存在でした。そういった大きな、かけがえのない存在のおかげもあり、この1年間、我慢に我慢を重ね、徐々に結果が戻り始めたとき、改めて水泳が大好きになりました。最後のインカレの結果こそ良くはなかったですが、チームと自分のために泳ぐことができ、800mリレーのレース終了直後、NUHWのスタンドの前を通った時、B決勝に行けなかった悔しさやチームへの感謝などの気持ちが複雑に織り混ざって、泣きそうになりました。スタンドに戻った時に4年間の中で1番充実した内容で満足して終わることができたと心の底から思うことができました。最後になりましたが、下山先生、馬場先生はじめスタッフ、サポーターの方々、今まで支えて下さった多くの方々、NUHWの水泳部の仲間。そして家族。こんな私を今まで支えて下さり、また、応援していただき本当にありがとうございました。選手人生は終わりましたが、水泳人生は続くので、今までの経験を生かし、感謝や謙虚さを忘れずに、これからも努力していきます。

2011年10月 5日 (水)

最後のインカレを終えて 〜熊谷卓也〜

熊谷卓也くん(山形県:山形中央高校出身)
派手さはありませんが、4年間、コツコツと地道に頑張る選手で、常に自分のペースを保てる素晴らしさを持っていました。
大会でチーム全体が成績不振で雰囲気が盛り下がっている時でも「この男はやってくれるはず!」という期待を持たせてくれ、それを実践してくれるチームにとって頼れる選手でした。

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『ラストインカレを終えて(熊谷卓也)』
私は大会最終日の200m平泳ぎに出場し、ほんの少しですがベストタイムを出すことが出来ました。ベストタイムからー0.27と数字的には小さく感じますが、今までの水泳人生で一番の達成感を味わうことが出来ました。そして、本当に支えてくれた多くの方に感謝をしています。
 私は4年間の水泳部の活動を通して一つ強く感じていることがあります。それは新潟医療福祉大学水泳部で活動できて本当に良かったということです。大学水泳を通して先生方や、スタッフ、OB・OGの方々、同期、後輩たち、食堂の方々、本当に多くの人に出会いました。この多くの人との出会いで、私は人間として成長することが出来たり、中途半端な気持ちで水泳に取り組んでいた自分を変えてくれたり、沢山のことを経験し学ぶことができました。そして4年間本当に多くの人に助けられました。
正直、自分の競技成績やインカレのチーム目標が達成出来なかったことに対して、少し悔しさは残っていますが、それでも最後まで本気で水泳を続けることが出来たのは先生方、先輩方、同期、後輩のおかげです。また地元のスイミングのコーチ、中学、高校の顧問先生方、そして最後まで応援してくれた家族のおかげです。本当にありがとうございました。
 これからは、4年間の経験を通して学んだ、最後まであきらめないこと、コツコツと努力する大切さなど忘れず、新たな道に進んでいこうと思います。

2011年10月 4日 (火)

全体ミーティング

シーズンスタートのミーティングを10/3(月)に行ないました。

新幹部です。
左から
鳴瀧智大(和歌山県出身):キャプテン
大木佑馬(神奈川県出身):副主務
寒河江勇介(山形県出身):主務
森山大地(新潟県出身):チーフマネージャー
土肥隆輔(山形県出身):副キャプテン
涌井春香(神奈川県出身):副キャプテン

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東京から栄養アドバイザーの佐藤晶子さん(国立スポーツ科学センター)もかけつけてくれました。
10月からチーム全体への栄養アドバイスや個々への栄養調査を行なっていただきます。
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OBでもあるトレーナーの三富陽輔さん(理学療法士)も仕事が終わってかけつけてくれました。
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アドバイザーの佐藤大輔先生からは、「学生スイマーとして一流を目指すためにしっかり勉強をすることの大切さ」をお話ししていただきました。
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今シーズンも新潟医療福祉大学水泳部をよろしくお願いします。

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2011年10月 2日 (日)

最後のインカレを終えて 〜浅野修平〜

4代目キャプテン:浅野修平くん(茨城県:茨城SS・勝田工業高校出身)
キャプテンという見えない重圧に耐えながら、チームを背負って、本当に頑張りました!常にチームのことを最優先に考えるキャプテンだったので、色々なことで悩み、苦しみました。しかし、そんな状況の中でもチームの大黒柱として1年間キャプテンとしての任務を全うしてくれました。キャプテンとしての経験を今後の人生に生かしてください!

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『ラストインカレを終えて(浅野修平)』
インカレを終えて長い水泳人生が終わりました。
キャプテンを務めさせていただいた最後のインカレではチーム全体での目標を達成することができずに悔しい思いはあります。
しかし男子では初の得点をとることができ、これはチームの歴史の第一歩だと思います。最後のインカレではキャプテンらしい姿をみんなに見せられることができず最後まで情けないキャプテンだったと思います。ですがこんな私について来てくれたチームのみんなには感謝の気持ちでいっぱいです。
そしてたくさんのOB、OGの方に応援に駆け付けてくださいました。残念ながら台風の影響などで応援に来ることができなかった先輩方もいらっしゃいましたがたくさんの人に応援されているんだということを改めて感じることができました。
最後になりますが私がここまで水泳を続けることができたのもキャプテンを務めることができたのも下山先生、馬場先生のおかげだと思っています。ご迷惑ばかりおかけして何一つ恩返しできませんでしたが最後に下山先生と馬場先生のもとで水泳をすることができて本当に幸せでした。この大学で水泳ができたこと、キャプテンをできたことを誇りに思います。本当にありがとうございました。

2011年10月 1日 (土)

最後のインカレを終えて 〜磯辺寛人〜

主務:磯辺寛人くん(茨城県:多賀高校出身)。

非常にクールで、常に冷静に自分のこと、チームのことを分析し行動できる選手でした。水泳部の主務もつとめ、大会や合宿などの遠征時にはチーム全体を本当にうまく動かし、スムーズな団体行動になるよう指示をだしてくれました。卒業後もこの経験が役立つと思います。

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『ラストインカレを終えて(磯辺寛人)』
私はインカレで50Frに出場しました。ベストを更新することができず、チームに勢いをつけることができませんでしたが、インカレの緊張感を存分に味わい、NUHWのパワーを感じて泳ぐことができたので、終わった後はすっきりした気持ちでした。大学水泳最後のインカレを終え、4年間の活動を振り返ると、たくさんのことを新潟医療福祉大学水泳部で学ぶことができました。
入部して1年目はインカレに出場することができず、インカレに向けた合宿中に行われるタイムトライアルを経験し、悔しい思いを味わいました。しかし、この悔しい経験があったからこそ今の私があるのだと思っています。そこから、来年は絶対にインカレで戦うという思いで練習をし、努力することの大切さを学びました。そして、あっという間に4年生になりチームを引っ張っていく立場となりました。その中で私は、主務という役割を担うことになりましたが、正直、チームの雰囲気が悪い時や自分も含め、部員の気持ちが目標から逸れているときにその雰囲気を変えていくことがほとんどできませんでした。そのことがなによりの後悔です。引退してから気づきましたが、一生に一度の大学水泳は本当に貴重な時間だったんだと気づきました。後輩たちには、水泳に対してもっと貪欲になり、同じ時間を共有する仲間を大切にし、後悔のない大学水泳を送っていってほしいと思います。
4年間、後悔したことややり残したこともありましたが、このチームで大好きな水泳ができて本当に良かったです。そうできたのも、支えてくれていた家族、高校時代の恩師、下山先生、馬場先生をはじめ、サポートスタッフのみなさん、水泳部のみなさんのおかげです。
本当にありがとうございました。
これからも、水泳部で学んだ感謝の気持ちをもつこと、努力することを忘れずに生きていきます。