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2015年9月27日 (日)

山本学長前期卒業式式辞

こんにちは、乙女でございますvirgo
先日行われた9月の前期卒業式で読み上げられました学長の式辞ダイジェスト版を掲載いたします。


   『式辞』

 すっかり秋らしくなりました。今年の猛暑を乗り越え、実りの秋を迎えた実感がいたします。この良き季節に、新潟治療福祉大学の卒業式と大学院修了式を挙行できることを学長として大変嬉しく思います。
(中略)
 本日、卒業という晴れの日に一点だけ曇りをもたらす懸念があるとすれば、それは皆さんが9月卒業であることを気にしているのではないか、という点です。しかし私は、全く気にすることはないと断言します。

 その理由は様々ありますが、一つには私自身も3月に卒業できなかった一人だったということにあります。この「卒業できなかった」という事実については毎年9月卒業式には申し上げてきたのですが、「なぜ卒業が遅れたのか」という理由については話したことがありませんでした。ですが今回は初めて、そのことに触れてみたいと思います。

 そのためには、まず当時の歴史的背景を説明しなくてはならないでしょう。私が大学生であった1960年代から70年代という時代は、安保闘争で日本中が揺れ動いていた時代であり、私たちも例外なくこれらの闘争・紛争に巻き込まれました。その中で、医学部においては卒業後のインターン制度への反対運動が全国で起こりました。当時のインターン制度についての詳述は避けますが、それは大変に酷いものでした。私たちは卒業前の約半年間、このインターン制度に反対するため、卒業試験のボイコットと臨床教室への非入局運動を行いました。まさに留年覚悟の行動です。

 (略)しかし国は、医師の補充が1年間留まるリスクを嫌い、インターン制度廃止を決議しました。

 いざ卒業はしたものの、インターン制度はなくなっています。加えて保守的な医学部で反対運動を行った我々を受け入れてくれる研修先の病院は多くはありません。そこで私は、公衆衛生学を専攻しアメリカで卒業研修を受けるという決断です。すべてが自己責任の決断でした。そして結果的に、その決断は間違っていなかったと確信するに至ったのです。
 このような心境に至った原因を自分なりに振り返りますと、卒業が遅れたことで「自分は自分、他人は他人」という生き方を、人生の若い段階で経験できたことが大きかったのだろうと思います。

 あなた方には、常に支えてくれる方の存在があります。すべての責任を自らの背に背負い、しかしその背後には、常に支えてくれる方の存在を感じながら我が道を歩んで行ってもらいたいのです。

これから卒業し社会に羽ばたく皆さんにとって、「自分らしく生きること」のきっかけになれば幸いです。

平成27年9月25日 新潟医療福祉大学 学長 山本正治

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