新年度!
皆さましばらく振りです
乙女でございます本年度もよろしくお願いします
さて、明日は入学式ですが、その前に…
大学はまだ春休み中であります
そのような中、1日付で学内にがオープンしました
待ちに待ったコンビニということもあり、合同研究室内ウキウキ
気分で買い物に出かけました
これからの学生生活を豊かにしてくれること間違いなしですね
皆さましばらく振りです
乙女でございます本年度もよろしくお願いします
さて、明日は入学式ですが、その前に…
大学はまだ春休み中であります
そのような中、1日付で学内にがオープンしました
待ちに待ったコンビニということもあり、合同研究室内ウキウキ
気分で買い物に出かけました
これからの学生生活を豊かにしてくれること間違いなしですね
3月31日、山口富一先生の最後のご出勤日となりました。
山口先生には言語聴覚学科開設時から言語聴覚士教育にご尽力いただきました。
また、山口先生は聴覚障害にかかわる研究にも長年にわたり精力を注いでこられました。
感謝の意を込めて、3年生有志が山口先生をお見送り。
山口先生の新たな門出に立ち会わせていただいた全員で青空のもと記念写真を撮りました。
最後に、山口先生からメッセージをいただきました。
「卒業生、在校生のみなさん、お世話になりました。
この春、10回生を送り出しました。1回生からかかわり、12年間勤務いたしました。
今は大学も大きくなり、ますます発展しています。
みなさんとの多くの思い出もできました。ありがとうございました。
今後は、新潟の自宅で生活する予定です。近くにおいでの時はぜひお声がけをお願いします。
みなさんのご健康とご多幸、増々のご発展を願っております。
山口富一」
山口先生にお渡しした花束は赤いバラとカーネーション、スウィートピーの花束です。
バラとカーネーションの花ことばは「愛情」。スウィートピーは「門出」。
まさに、学生にずっと変わることのない愛情を注いでくださった山口先生にこそふさわしい花束です。
山口先生、今まで本当に本当に本当にありがとうございました。
感謝してもし尽せない想いでいっぱいです。
どうぞ末永くお元気でお過ごしください。
言語聴覚学科
在校生・卒業生・教員一同
こんにちは
平成25年度もいよいよ残りわずかとなってきましたね
先月次年度の実習先の指導者の方たちが集まって
臨床実習指導者会議が行われました
会議では春から新4年生になる学生と実習指導者の方々の
顔合わせも行われ、緊張した面持ちで話し合っていました
こんにちは
今日は言語聴覚学科で「心理測定法」の科目などをご担当されています。
石本豪先生よりコメントをいただきました
先生紹介はこちらのページをご覧ください
先日、ある作家の個展に行ってきました。
作品は「現代アート」と呼ばれるもの。
カフェの庭に作品は展示されており、周囲の風景ともよく馴染んでいました。
作家の方と話をする機会があり、その話がとても面白く、共感しました。
作家の方曰く「この作品の意味みたいなものって、隣に立っている木との
関係性で意味が現れるというか...」
仕事柄、僕は障害を持ったお子さんをお持ちのお母さん方と
お話をさせてもらうことがあります。
そこでは、そうしたお子さんを産み、育てるという人生の意味が話題になることがあり、
そんなとき僕は“その方にとっての人生の意味”を理解したいと思います。
そして、あたりまえのことですが、他でもない“その方にとっての人生の意味”は、
どんな教科書にも書いていません。
大がかりな機械を持っても見えるものではないはずです。
ではどうしたら?
できることは対話です。
なんてことのない対話です。
ことばや表情のやり取りを地道に継続するほかありません。
でも、もし対話が相手を理解するという機能だけではなく、
新たな意味を作り上げる可能性をもっているとしたらどうでしょう。
ある作品の意味が周囲の風景との関係によって立ち現われるように、
人生の意味が他者との対話を通した関係によって再構成されるものだとしたら。
今日も畏れを抱きながら、好奇心を持って対話を継続しようと思います。
その方にとって、より納得のいく意味を「共に生み出す」ことができたら、
それはとてもうれしいです。
学生との話し合いの中で、なるほどな、と思うことがあった
効果的なプレゼンテーションの仕方についてみんなで考えているとき、
ある学生が「講義中に寝る学生の心理・行動パターン」について語りだした
その分析は的確かつ論理的
その口調は穏やかで冷静
私もえらそーに「コーギは聞いている人のためにあるものだからね」とかなんとか言ってはみたものの、心の中で感服した
教壇に立つと、学生のことが驚くほどよく見渡せる
講義中に寝ている学生を冷やかにみつめている学生の目がある
講義開始時間が来てもおしゃべりを止めない子たちを、一瞬にして静かにすることができる力をもった学生がいる
そういう学生に触れるたび、大学の講義はまだまだ学ぶ者たちのために保障されている場なのだと救われた気持ちになる
なぜそう思うか
それは私自身が、かつて、ほぼすべての講義で突っ伏して寝ていた張本人だったからだ
しかも、先生の死角になる1番前をわざわざ選んで、堂々と
教壇に立つ側になった今ならわかる
当時の私は、先生に「みのがされていた」わけではない
「見捨てられていた」のだ
一方、そんな私を見捨てずに、「冷たい視線」でみてくれていた友人の目があった
そんな私に容赦ない厳しいことばを投げつける友人がいてくれた
彼らのおかげで、今の私は脱落することなくここにいる
私に学ぶことの大切さを教えてくれたのは、
学ぶことの大切さにいち早く気づき、
講義を大切にしなければならないことにいち早く気づいていた友人たちだった
今の私は、もしかしたら、「大学の研究室」という場で、
当時の友人たちのように学ぶ意欲のある前向きな学生との楽しい議論の時間を通して、
かつて私が手に入れることができなかったかけがえのない時間を、
今の学生たちとともにやりなおしているのかもしれない